娘の婿ドノがインポテンスであったことにショックを受けたご両親か、婿さんの親御さんに、性の不能男性であることが分かっているのに結婚させたのはサギ行為のようなものだ、と怒って婿さん側に抗議の電話をした、ということで、嫁さんのお母さんが相談に見えたということです。

本表紙 奈良林祥 著

ピンクバラ「セックスレス」夫婦であっても「浮気・不倫」は楽しいものだしロマンスがある憧れチャンスがあれば間違いなく男女の区別なく逃さない。浮気性の恋人や夫をどうあやせばいいのか、恋人の「浮気・不倫」疑惑が浮上したときはどうしたらいいか、恐るべき夫の言い訳の”ただのお友だち”をどう撃退するか?

第六章 セックスは本能じゃない

「結婚して一ヶ月半なる娘が、先日用事があって、ひょっこりやって参りました。でもどうも様子がおかしいので、『うまくいっているのか』と尋ねますと、急に涙ぐんで、まだ娘のままの体と申します。びっくりして、私がいろいろ尋ねてみましたところ、どうも婿さんが不能であるようなのです。主人はたいへん腹を立てまして、早速婿の母親に電話し、不能の息子さんであることを承知の上で娘と結婚させたのではないか、だとしたら許せない、どういうことなのか説明願いたい。はっきりしたご返事をいただけるまでは娘は私どもで預からせてもらいます。と、伝えたのでございます」

 つまり娘の婿ドノがインポテンスであったことにショックを受けたご両親か、婿さんの親御さんに、性の不能男性であることが分かっているのに結婚させたのはサギ行為のようなものだ、と怒って婿さん側に抗議の電話をした、ということで、嫁さんのお母さんが相談に見えたということです。なぜそのお母さんが困り果てたような顔をして私の所に相談に見えたかというと、婿さん側からの思わぬ逆襲を受けて、何が何だかわからなくなってしまったらしいのです。

「昨日婿の両親が私どもにみえまして、息子は不能者ではない、大学病院の泌尿器科の教授の書かれた診断書をお出しになり、専門医が異常なしと太鼓判を押してくれているせがれを不能者呼ばわりするとは人権無視も甚だしい。名誉棄損で訴えて出るからそのつもりでいてほしい、とおっしゃたわけです。

 でも、主人は、結婚以来夫婦の交わりがやれていないような男は不能に決まっている、と譲りませんで――」
 というひと幕があったからなのです。

 じつは、この種の揉め事がクリニックに持ち込まれるのは決して珍しいことではありません。親御さんの訴えの表現にこそ個々の違いはあっても、要するに、
“性というものについての悩み方が見当違いだと、こういう泥試合になってしまう”
 という点ではみな一致しています。
 こういう揉め事を持ち込んでくる方々に対しては誠に失礼な話ではありますが、
「みなさん方、とりあえず頭を冷やして、性に関して悩むときはどういうふうに悩んだらいいのかということを勉強することからやり直しましょうよ。さもないと、落語よりも漫才よりもずっと滑稽な茶番劇のお粗末ということになりますよ」
 と申し上げたいと、ため息交じりにいつも思うのです。つまり、性の機能というもののイロハのイにあたるような基礎的知識を持ち合わせていない方同士がどなり合い始めると、どうしても、脇から見ていると、滑稽が滑稽を生んで混線してしまっているだけ、としか見えなくなってくるものだという事です。ご当人たちがほんとうに本気で憤っているからなおのことです。

 私は、この種の揉め事のそもそもの火種であった婿さんのインポテンスを、それも結構などと言うつもりはもちろんないのですが、こうした揉め事のほんとうの”いけない点”は、もめごとを巡るみんなみんな、
“セックスなんてものは本能なのだから、結婚したら、事の初めからちゃんとやれるのが当たり前。だから、初めからちゃんとやれないのはおかしいのだ”
 と決めてかかっている、というとんでもない誤解と偏見を持っているところであるのです。

 牛や馬や犬や猫や豚さんたちの場合は、発情も交尾も本能です。ミケだろがポチだろうが、最初の交尾から全く失敗なし、みんなすいすいとやりこなせます(ただし、本能であるくせに、なぜか交尾に失敗して勃起したペニスを折ってしまったという気の毒なキリンさんもいるそうですが、これはまさに例外中の例外)。

 チンパンジーにも性教育が必要だった

 ところが、同じ動物園の檻の中にいる手合いの中でもチンパンジーともなると、われわれと同じ霊長類でありますから、もはや、交尾なんて本能だから、なんてことは言っていられなくなります。

 上野動物園で生まれ育ったチンパンジーの雄がやがて発情期を迎え、そこでパートナーの雌と一つの檻で暮らすことになったが、交尾しない。確かに発情しているから雌のそばに行く、発情らしい仕草もする、でも結局、いらいらと檻の中を歩き回ったり、八つ当たりするだけで、交尾には至らない。可哀想に、動物園の檻の中で育てられた彼は、アフリカの密林で暮らしていれば大人のチンパンジーの愛の交わりの光景など幼い時からいやというほど見て育って、したがって交尾の学習もちゃんと済ませて発情期を迎えられたはずなのに、その学習の体験がなかったわけです。だから、発情しても、その発情を交尾に結びつけることが出来なかった。

 ということに気づいた、動物園では、そのチンパンジーくんに、チンパンジーの交尾の映画を見せて性教育をしたというのであります。

 これは、マスターベーションのところでもご登場いただきましたが、上野動物園の園長さんを定年退職でおやめになった中川志郎さんと、誌上で対談した際に伺った話です。

 チンパンジーさんにしてそうなのですから、霊長類のリーダーを自認するわれわれ人間が、結婚したら、その初めから、だれでも彼でもが、全員間違いなく、ちゃんとした性行為をやれるなんて、そんな犬猫なみの生き物であるわけがないのです。
 中には、第五章までお馴染みの性愛恐怖症の男性のようにサワラナ族であったり、強度のマザフィグ族であるための新婚インポテンスも確かにあります。しかし、そうした本格的ご病人ではなく、ただ、その場に臨んで緊張してしまい、緊張のあまりインポテンスになってしまっただという例だってあるのです。
ところが次の夜、よし今夜こそと目的を遂げようと意気込んだためにインポテンスになり、次の晩は、二度も出来なかったけれど、今夜もダメなのだろうかと不安が先行してしまったため、またまたインポテンスに見舞われてしまう。そうしてハネムーンでの失敗を後生大事に心に抱いたままであることが原因で、その後も性行為をしては勃起不全で、結局、”性行為しようとして失敗して恥をかくより、試みないで恥をかかなくて済むほうがいい”なんて逃げ腰になったまま三ヶ月経っていた、というような例だっていくらでもあるのです。
ほんの少々気が弱いとか、未経験からくる緊張、などということが引き金であるにすぎない、言ってみれば、いじらしい、ごく一時的なインポテンスにすぎないわけです。
それなのに、セックスなんて本能で、誰だって結婚すればやれるもんだと、これまたいじらしくも誤解しているご本人であるばかりに、二カ月、三ヶ月、半年と続くインポテンスに自らしてしまっている例など、私の扱うケースの中にはいくらでもあります。

 仲人さんなんて人も怠情だと思います。金屛風の前にお座りになって、「コンチまたはお日柄もよろしく、ご両家ご繫栄のために」などと陳腐なご挨拶をするだけで、結構な金額の謝礼などいただいて、駅から空港までお送りに行って、「はいさようなら」はないでしょう。

 結婚したての二人はずっと人間としての先輩であるわけですから、披露宴も無事すんで、あとは旅に出かけるだけという二人を物陰に呼んで、
「今の若い人だから、こんなこと言わなくいいとは思うけど、いいかい、キミたちだって霊長類なんて、セックスって本能じゃないんだからね、新婚旅行の初めから、ちゃんとした性行為ができるに決まっているなんて、間違った考えを持ってハワイに行きなさんなよ。

 ちゃんとやれないことだってあって当たり前。なにも日本国憲法の第何条かに”結婚初夜から性行為を正常に営むことのできなかった男性は無期懲役に処す”なんて書いてあるわけじゃないんだ。楽な気持ちで、とりあえずハワイを楽しんでおいで」

 くらいのことを話してやったらどんなもんかなと思います。たぶん、そうしたら、いわゆる新婚インポテンスのかなりの件数は未然に防ぐこともできるでしょう。これから仲人をなさろうかという方、ぜひ実行して頂きたいものです。

 もっとも、近ごろよくある、ショットガン・ブランドと呼ばれる、すでにお腹に赤ちゃんが入っていてそれで花嫁であるなどという場合は、なにも今さら、ということでありますけれど。
 なぜ、すでに妊娠している花嫁さんのことをジューン・ブラインドならぬショットガン・ブライドと呼ぶかご存知ですか。アメリカはかの懐かしの西部開拓の時代、結婚前に妊娠させられた娘の父親が、妊娠させた男の背中にショットガンの銃口を押し付け「娘と結婚しないとただじゃ置かねえぞ」と脅かしながら協会に連れられて行って結婚させたことがよくあったということから、後年、すでに妊娠している花嫁の事をショットガン・ブラインドと呼ぶようになったんだそうです。

 性は楽しむもの

 それはともかく、性行為とは結婚の初めから、間違いなくやれるなどという保証があるわけじゃないのに、本人も周りの大人たちも、ほとんどなんの疑いも無く、初めからちゃんとやれて当たり前、やれないヤツは不能、と思い込んで新婚旅行に出かけていく、ということ自体が誤りなのだ、ということを知っていただきたいということです。

 初めからちゃんと性行為がやれる男でなければ嫌だと、たとえば嫁さん側が希望なさるなら、見合いなさる相手の男性の素行調査を十分になってみることです。そして、その結果が”彼は高校生の頃からすでに何人ものガールフレンドと性行為をし、一度など相手を妊娠させたことがあり、大学時代は同じゼミの女子学生と同棲、社会人になってからは毎夜のようにディスコで知り合った女の子を自分のアパートに連れ込んで――”というような男性でうったら、これならら初夜から間違いなく性行為がやれると値踏みしてよろしいとか――。

 冗談じゃない、そんなバカなこと――そうですよね。性的にふしだらとわかっている男と娘を結婚させたいとなんて願う親御さんなどいるわけがありませんもの。

 おわかりいただけましたか。結婚の第一夜から、間違いなく性行為がやれなければいけないなんて言われたら、男はみんな、とりあえず、女たらしとまではいかなくても、相当女性との性体験を積んでおかなければならない、ということになってしまうわけです。

 でなければ、昔のニッポンにあった例の足入れ婚のようなものでも復活させて、結婚前に一緒に生活させて、ちゃんと性行為が営める男であることが分かってからその男と娘さんを結婚させるトライアル・マリッジ(試験結婚)の結婚様式を採用するとか。

 ただ、アメリカ、ウィスコンシン大学での調査によると、トライアル・マリッジという手順を踏んで結婚したカップルで十年以内に離婚したケースは三十八パーセントで、愛し合ってごく当たり前に結婚したカップルの離婚率より一〇パーセント以上も多い、ということです。
 その理由として、「結婚前に一緒に暮らしていたということが離婚の多い原因なのではない。試験結婚などというやり方で結婚するカップルは、結婚生活の中でなにかトラブルが起きたようなとき、簡単に離婚したがる、と言うだけのことだ」とコメントされていますが、頷けますね。

 いずれにしても、ニッポンの社会に、まだセックスは本能だ、という時代遅れの誤解が残り続けているために、結婚したら、初夜からちゃんと性行為が営めるのが当たり前、営めなければおかしいという、これまた誤った思い込みが今も定着しているという事は事実です。

 ところが、実際は、人間が霊長類であるため、そして、ひとり一人の育てられ方がみんな違うため、中には、心身ともにどこにも異常がない婿さんが、ちゃんとやれて当たり前、だからちゃんとやらねば、という誤った思い入れが原因で、こころならずも結婚第一夜に勃起不全に見舞われ、それがまた原因でひき続き勃起不全であるというようなことを起こす男も、大勢の中には出て来ることがありえるのが本当の姿なのです。しかも、それはあって当たり前のことで、言ってみれば犬猫牛馬たちとは違う生き物である証拠みたいなもの、と受け止めてるべきです。

 ところが、初めからちゃんと性行為がやれて正常、という誤った価値基準のようなものを世間が持ってしまっているため、性行為が不慣れのせいで、ちゃんと性交がやれなかったというのがあって当たり前のことが、やれ不能だ、男としておかしい、と決めつけられる結果になってしまうのはおかしいのではないかと、勃起不全を治す立場にある者といたしましては申し上げたいのです。

 もちろん、結婚の当初からちゃんと性行為がやれるに越したことはありません。でも、何かのはずみで、ちゃんとやれるはずの性行為にたまたま失敗してしまった、なんてことは性の新米時代にはよくある話さ。と思える科学的で正しい理解の仕方がニッポンの世の中で一般化されればそれに越したことはないわけです。

 事実、新婚早々から夫が勃起不全であるためまだ本当の夫婦になれていません、などと明らかに夫への軽蔑を表情に表している結婚二カ月くらいの奥さんが、私から「人間はね、霊長類ですからね、セックスは本能じゃないのよ。だから、男はみんな初めからちゃんとしたセックスはがやれるという保証はどこにもないの。知っていましたか、こういうこと」と言われて、ぎくっとして顔色を変えることがあります。

 つまり、基礎理解があやふやだと、ご本人は性について悩んでいるつもりでいても、悩み方が見当はずれで空回りしているに過ぎないということがいくらでもある、ということです。
 そういえば、空港や駅のホームに新婚旅行に出かけるカップルを送りに来た連中が、新郎クンを胴上げしたりして、「がんばってこいよ」だの「男になってこい」なんて発破かけている、あれもよくありません。

 がんばってこい、と言われれば、新郎クンは当然、”よし、がんばるぞ”と思うし、そして、かわいそうに、その瞬間、結婚第一夜の性行為に失敗が約束されてしまう事ってあり得るのですから。

 美空ひばりさんの歌の中の文句にもあったじゃありませんか、「勝つと思うな、思えば負けよ」というのが。これは柔道を歌ったものだそうです。性行為も同じでして、よしがんばるぞ、なんて思って性行為に臨んだら、まず、負けは保証されたみたいなものです。負け、つまり勃起不全です。ちゃんとしたことをやろう、だとか、がんばるぞ、などという心の働きは、性の機能によってはマイナスに作用する全くの邪魔物でしかないからです。

 ここで、ついでに覚えておいてください。
“性行為とは、するものでもやるものでもない”
 という性行為の鉄則を。
 えっ、するものでもやるものでなければ、それは性行為って何だ。
“性行為とは楽しむもの”なのです。
 性行為とは、女と男がくり広げる楽しいパフォーマンスなのであって、絶対に”がんばるぞ”だとか、”ちゃんとしたことをやらねば”などと、頬をひきつらせ、深刻な面持ちの似合う世界ではないのです。

 俗に新婚インポテンスなどと呼ばれる新婚早々の勃起不全がよく起きてしまうのは、楽しむことを忘れ”ちゃんとしたセックスをとよう””ちゃんとやらねば”と、するだのやるだのという思いが先行してしまうからなんです。

 無理もありません。不慣れな場面に臨む二人に、楽しもう、などという心理状態を期待するほうが無理というものですから。どうしても男は、するんだ、やるんだ、と勝ちにいってしまう。すると、勝つと思うな思えば負ける、の原理で、哀れ、ハワイでサクラ散る、になってしまうのです。

 新米時代は何だってへたで不器用なもの。慣れて、ゆとりが出て、やっと性行為を楽しみ合うことが出来るようになる。へたから始まって、経験を通して上手になっていく。性行為もまた、試行錯誤の中で身に着けていく類のものなのです。

 性は脳なり

 人間の性の機能というのは、大脳皮質と呼ばれる大脳の表面の細胞が”うれしい””幸せ””ハッピー”という思いだけで満たされているとき、フル回転してくれているのです。

 本省の始めに引用した、
「結婚して一ヶ月半にもなるのに、ちゃんとした性の交わりもできない不能の息子を、それを承知の上でうちの娘と結婚させるなんて、サギみたいなものだ」
 といきり立った嫁さんのお父上のおっしゃりようは、心情としてはわからないでもありませんが、やはり、このお父さんの頭の中に、性行為なんてものは本能で、だから初めからやれて当たり前、という誤解があっての発言であるという理由で、やはり、性の悩み違いの一例ということになるでしょう。

 よく私のクリニックなどではあるのです、「先様は、ご子息さんが不能であることはわかっておいでだったと思うのですよ」などとおっしゃるお嫁さんのお母さんが。そもそも、この不能という表現が穏やかでありません。不能なんて言われると全く役立たずみたいに聞こえて、婿ドノ側のお母さんなどを必要以上に刺激してしまう事になるのかもしれませんから。

 でも、かなり一般的に使われてしまっている言葉ですから、いまこのことを問題にするのはさておくとしても、勃起不全の息子であることを承知の上で云々というのは、これは勇み足というか、勘繰りすぎであります。つまり、これも嫁さんの親御さんの”性の悩みの悩み違い”の一例ということになるでしょう。

 一寸先は闇でござんす、みたいなところが人間の性の機能にはあるものでして、ちょっとしたストレスを機に、昨日までなんの異常もなかった性の働きが、今日になってみたらインポテンスになってしまったなどということはいくらでもあり得ることなのです。

 つまり、”自分は生涯を通じて絶対にインポテンスなどなりません”と断言できる男が有り得ないと同様に、”自分は結婚したら絶対にインポテンスになる”と予言できる男もありえないのです。

 結婚したら自分はちゃんとした性行為がやれるだろうか、などとよけいな心配する男というのであれば、そりゃ、いるかもしれません。でも、不能を承知で結婚する男なんておりません。それどころか、私を悩ませる、あのサワラナ族の性愛恐怖症の諸君だって、みんな、結婚すれば性行為なんて何でもやれてしまえるもの、と信じているのです。信じているからこそ、性交に成功したらどうしよう、などという不思議な悩みを抱く結果にもなるわけでしょう。

 ところで、かたや婿ドノのご両親が、嫁側から息子を不能呼ばわりされたというので早速泌尿器科医を訪ね、検査を受け、異常なしの診断であったということで、名誉棄損で訴えてやる、と息巻いていたと言うのも、これまた”性の悩みの悩み方の間違い”の典型ということになります。

 泌尿器科の教授が泌尿器科的には全く正常であると保証してくれた、そういう立派な性の機能を持ちながら、嫁さんという女性の前で全く実力を発揮できない、というところに息子さんの男としての問題のタネがあるのだという、イロハのイみたいなところがわかっていない、つまり、息子の性について親としての悩み方がまるでわかっていない、というわけですから。

 そこのところをすっかり見落として泌尿器科で頂戴した診断書を振りかざして、息子の名誉棄損が傷つけられたなどと力み返っている婿ドノのご両親の姿も、これまた極めて落語的だと申し上げざるをえません。

 こういう嫁の両親、婿の両親の間にくり広げられる絶対かみ合うことのないインポテンスにまつわる滑稽な揉め事のような物がなぜ出てきてしまうのでしょう。その最終的な理由は何であるのかというと、”性は脳なり”ということがニッポンの社会通念にまだなり切れていない、という事に尽きるとおもいます。

 一般に性は下半身のもの、性器周辺のものというふうに捉えられがちです。ですが、人間の性の働きを司る性中枢は脳内の辺縁系視床および視床下部という部分にあると言われているのです。

 大づかみに申しますと、左右のこめかみを結んだまん中あたり、つまり眉間の真後ろ辺りにあると思っていただいたらいいと思います。そこが司令部で、そこから脊髄をへて神経線維が性器にまで達しているわけです。

 ところが、性中枢という性の司令部は、その上のさらにもっとも権力を持った、神経や精神の働きの総合司令部ともいえる大脳皮質という脳の部分の支配をうけているのであります。
 だから、”性は脳なり”なのであって、性とは、決して下半身の問題ではないというわけです。

 大脳皮質という脳の部分は人間に、考えたり、想像したり、判断したり、創造したり、という高度の精神活動を営ませるところですから、人間の性欲や性器の働きは、常に大脳皮質のご機嫌しだいでどうにでも変わってしまう宿命をもっているわけでです。だから、性は脳なりなのです。泌尿器科的にみて性器の働きになんの異常がないと保証されながら、結果的にはインポテンスであるという婿さんが出てきてしまうのも、”性は脳なり”だからです。

 オーガズムを得られないのは、肉体的欠陥のせいではない

 生まれた時からの、脳と、両親や家庭環境や、周囲の大人たちや、社会環境との関わり合いや、個人個人の持つ遺伝子特性などの総和で、その人間のパーソナリティー(とりあえず人間性とでも申しておきますか)というものがつくられていきます。

 そのパーソナリティーの中で、すでに述べたマザフィグ傾向を持ったものもあるわけで、それがインポテンスや性愛恐怖症の下地になり得ることはくどいほど申しました。つまり、パーソナリティーもまた脳の働きあってのものですからね、ここでもまた”性は脳なり”なのです。

 でも、どうも日本人は性というと下半身のものだという思い込みが強くて、だからインポテンスも泌尿器科的な面での肉体的故障が原因で起こるものと決めてかかる癖があります。

 したがって、泌尿器科的に正常と言われれば、息子には性的問題はないものと断定してしまうのです。にもかかわらず泌尿器科的には全く異常ないと言われたものが、女性の前でインポテンスをくり返しているという事実こそが問題なのだ、ということには、どうしても目が向かない。

 これまた、”性は脳なりなのであって、必ずしも下半身の問題とはいえないのだ”ということが常識になっていないために起こる滑稽な混乱の一つということができるでしょう。

「結婚してもう二十三年にもなるのに、私は一度も性行為の中で女の喜びというのを体験したことがありません。私がそういう体であるのが不満なのか、主人は若い頃から女性問題が絶えませんで、五十を過ぎたいまでも好きな女がいるようです。私も不感症でない体に、今からでもなりたいと思って、相談に来ました。婦人科の先生は特別悪いところはないと言うんですが、ホルモンが足りないとか、どこか私の体におかしいところがあるに違いないと思うんです。先生なら悪いところを見つけて下さるんじゃないかと思って」
 などというケースも、よくある”性の悩みの悩み方しらず”の代表的なものです。
 こういう訴えをする中年の女性たちには、頑なに、自分の肉体的欠陥があるからオーガズムに到達できないのだと、なぜか信じ込んでいるのです。もちろん子どもさんもいる。だから、離婚など考えていない。亭主の女遊び癖は嫌だけれど、でも自分の体に欠陥があるのだから亭主に女遊びはやめてくれとは言えない、と大体似たようなことを言います。

 そういえば、自分は不感症の体だ、というのも、この種のケースの女性が申し合わせたように使う言い方ですね。

 もともと女性はオーガズムに到達できない可能性というものをだれでもが必ず背負って生きているみたいなもので、性行為を営めば必ずオーガズムに到達できる、などという女性は絶対に少数派です。アメリカやフランスでの性行為の社会調査の結果の中には、性行為を営めば必ずオーガズムに到達できる女性は十五~十六パーセントにすぎない、などという数字が示されているほどです。

 夫婦のよい人間関係こそがよいセックスの条件

 自分の体が不感症という体だから夫が浮気をするのだと、こういう相談にみえる奥さん方はおっしゃりたがるのですが、じつはこれ、あべこべなんです。夫が女遊びの激しい人だから、その結果として、彼女たちがオーガズム欠如症になってしまっただけの話なのです。

 そもそも、夫婦の間にいきなり性行為なるものがあらわれるものじゃありません。まず、夫婦の人間関係というものがあって、そのうえに性行為があるというのが成り立つのです。
 したがって、夫婦の間によき人間関係が成り立っていれば、よき性行為が結果され、いい人間関係が夫婦の間にでき上がっていなければ、いい性行為は望めないというのが、すくなくとも女性にあっては普通でしょう。

 結婚して間もないころから夫の女遊びが始まっているという状況のもとで、夫婦の間にいい人間関係が保たれるわけがありません。だってそうでしょう。亭主が浮気していることが分かっていて、それで奥さんが、私ってハッピーな女、なんて思えるはずがありませんもの。言ってみれば、子どもがすでにできていたりしたことで、しかたなしに形だけ夫婦であり続けただけの話。これで奥さんが性行為に満足しているとしたら、そのほうがおかしいのです。

 というような説明をしても、なぜか、自分が不感症という体だから、夫が浮気をしたので、自分が不感症でない体にならない限り問題は解決しない、と自説を曲げようとしない人が多いのは、なんともやり切れない思いで、相談に乗る私のほうがガッカリさせられるのです。

差し込み文章
 ならばインナーマッスル(下半身筋力トレーニング)強化運動をとりいれて図2、テンティング(子宮口)の部位のところで男性器(亀頭)を強い力で締め付け、さらにオーガズム隆起(膣口)の部位のところでペニス根元を強い力で締め付ける力が半端なく強いと射精が困難となりその射精精液量が半分程度しか射精できないことから、男性は強烈な射精オーガズムを感じるそして、暫くすると若い男性なら再度セックスに挑めることが出来、さらにもう一度という具合になるのです。
 もちろん女性も何回でもオーガズムに達することができるわけです。

 インナーマッスル強化し筋力をつけるには、長期にわたるたゆまぬ努力という気の遠くなるようなことです。しかし、案外セックスを楽しみながらさほどの努力も必要としない方法でインナーマッスル強化できる方法として、『セックスレス改善法』『オーガズムの定義』からご覧して試してみてださい。
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 性の悩みの悩み方を改めさせようとしても、”性とは下半身の肉体的問題だ”と二十年以上も思い込んでいる人の悩み方の誤りを直してあげることは、これでなかなか大変なのです。

 男の性欲は単純に満たされる

 男の性欲が満たされていく筋道は簡単なものです。思春期の入り口で、生まれて初めて射精という生理現象(自慰という形であるか、夢精という形であるかの違いはあっても)を体験したその瞬間に、
興奮→勃起→射精→満足→おしまい
 という、性欲が満たされるための彼の体の仕組みが完成してしまったら、あとは、生涯このパターンをくり返していくだけであるのが男の性の生涯です。つまり、ワンパターン人生です。要するに、射精さえすれば自動的にオーガズムに到達できるのです。”なんでこんなブスを女房にしちゃったんだろう、こんな女、いなくなりゃいいのに”なんてそんなひどいことを考えながらでの性行為でも、射精すれば男はオーガズムに必ず到達し、性欲は満たされていくのです。性欲を満たすための体の仕組みがあまりにも完全にかつ簡単に作られ過ぎているのが男の長所でもあり短所であると言えるかもしれません。

 男の性行為は射精すれば絶対に満足に到達できる保証を持っているのが長所。でも、いつも同じパターンでしか満足を味わえない、しかも、結果は性行為を営む前にすでにわかり切っているというバカバカしいが短所。それに、性欲を満たすために体の仕組みがあまりにも都合よく容易に作られてしまっているために、男はどうしても、”セックスとは肉体の問題にすぎない”と信じ込んでしまいがちだと言うのもたいへんな短所です。

 女性が性行為によって満足に到達するということは、皆さん方が考えておいでになるよりはるかに難しいものです。なぜかと言いますと、
1、 アンドロージェンというホルモンの保有量が男性に比べると少ない。 
2、 男に貸し与える膣の内部は度はずれに鈍感な部分である。という二点に加えて、
3、 男は一般的に、極めて女の性に無知である。
という困った問題が加わるからです。
 アンドロージェンというホルモンは人間に性的欲望を起こさせる生理的原動力であります。その保有量が男にくらべて少ない女性としては、その分、精神的な面からの刺激によって補っていかないと男と対等に性を営んでいけないということに成ります。つまり、女性の性の反応というものは、常に精神面の影響を受け、それに左右されねばならない宿命を持っているわけで、体だの仕組みで性を営めばいい男にくらべて、女の性は難しいことになるのです。

 二人の間の愛と信頼と心の安定というものがあって始めて女性の性欲は性行為によって満たされるものだと言われるのもそのためで、だから、夫の浮気が夫婦間の信頼を失せていれば、性行為は営めても女性に女の歓びなるものが与えられないのは当然だということになります。

 ニッポンの男たちの悲しい勘違い

 膣の内部はきわめて鈍感です。鈍感だからこそタンポン式生理用品などというあんな棒みたいなに硬いものを膣内に挿入して女性は爽やかに生理の処理が出来るわけですし、膣の内部が長鈍感だからこそ、女性はペッサリーなどという直径八センチもあるような避妊器具を膣に挿入して平気で避妊していけるのです。膣に感ずる場所があるとすれば、外陰部の延長といってもいい、ほんの入り口あたりだけです。

 アメリカの女性の産婦人科医の中には、膣は性器ではない、出産のための道、メンスの血液の通り路でしかない、と言い切る人もいるくらいであって、女性の性器はクリトリスを中心とした外陰部であると考えるのが本当ではないかと、私は思います。 では、膣は女性の性にとって何であるのか。膣は、女性がオーガズムなる性の満足状態に到達できたことを表現する場所、と考えたらよろしいのです。

“クリトリスを中心とした外陰部に受ける刺激と精神的な面からの刺激とによって興奮を高めていき、その結果、膣でオーガズムに達したことを表現する行為である”
 と定義づけるのが正しい考え方です。
 極言すれば、
“女性とは外陰部で性行為をする人であり、膣で性行為をする人ではない”
 ということです。

差し込み文章
 当該奈良林氏のいう、クリトリスを中心とした外陰部に受ける刺激と精神的な面を併せた興奮からオーガズムに導かれるという理論は正しいが、それはペニスの太さ、長さサイズが日本人の平均的なものであればという前提条件であって、奈良林氏の図2記載テンティング(「子宮口」または、子宮頚部)まで十分に男性性器(亀頭)まで達しないものを指すのだろうと推測される。しかし、
子宮口が亀頭縁くわえ込み、強く締め付けを受けるサイズのペニスであれは女性はオーガズムに達するのが早いというのは間違いなくあるのです。
 その証拠に大概の女性がオーガズムに近づくと、もっと奥と懇願するのである。それは、子宮そのものが性感をいちばん感じたがる性器であることを示している。
 男性性器に自信がない、平均的サイズより小さいと思いの方でも実証する方法として膣温水洗浄器(ノーブルウッシングB・C型)を自らの性器の代用と思い愛情を込めたメイクラブしてあげたら女性の身体全体へ不随意筋運動(「痙攣」自ら制御できない筋肉の動き)を伴ったオーガズムという現象が目の当たりにできるはず。
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 膣でオーガズムを表現する、というのはどういうことかといいますと、女性の性的興奮が高まると、膣の奥行きを三等分してその出口に近い三分の一の範囲にオーガズム隆起と呼ばれる筋肉の盛り上がりが発生し、オーガズムに到達すると、その盛り上がりが〇・八秒の間隔で。平均して七・八回けいれん様の収縮をくり返し、それによって、女性は全身に広がる強烈な快感を体験する、という現象のことです。

 つまり、女性は確かに性行為において男に膣を提供するけど、男に関心を持ってほしいのはクリトリスを中心した外陰部なのであって膣ではない、ということです。

 ところが、男一般的は絶対こういう理解の仕方はしていません。性行為とは女の膣と行なうものだと頭から決め込んでいます。かくて女性は、自分の体の中でも度外れに鈍感なところに目標を置かれてしまうために、せっかく性行為をしても、男だけ満足し、彼女はしばしば満足を得られずじまいという目にあうことになってしまっています。

 四十年に及ぼうという私のカウンセリング業務の中で、当初から今日にいたるまで、「前戯の間はそれでもけっこういい気分にもなれるのに、主人が私の体の中に入ってくると、とたんに興奮が冷めてしまいます。こういうのを不感症と言うんのでしようか」

 という女性の悩みごと相談が絶えないのも、前戯の間はそれでも男は少しは外陰部に関心を持ってるけれど、性器を結合してしまうと、性行為とは女の膣と行なうものという男の誤った思い込みが、外陰部をのけものにしてしまうからです。

 もちろん、性器の結合なんていらない、と言ってるのではありません。世紀の結合がなければ妊娠も期待できないし、性器の結合によって、女と男はこれ以上ないほど近づき合えるわけですから。だから、性器の結合をしてもいいけど、男は、性器と結合しても、自分は彼女の外陰部と性行為をしているのだということを忘れなさんな、と申し上げたいわけです。

 膣のバルーニング現象

 男ってかくのごとく、女性の性ということや、性の営み方というものに、口ほども無く無知なものなのです。その夫の無知が自分の性の悩みの原因であることを知らない女性が、私のところに「感じません」「達しません」「夫が不満を口にします」と悩みを訴えてくるわけですもの。やはり私としては、”性の悩みの悩み方を教えます”の心境にならざるをえません。
 その極めつけとも言うべきものが、
「夫に、お前の膣は緩くてつまらない、婦人科で診察を受けましたが、別に変わったところはないと言われました。でも、夫は、おまえの膣は締まりがない、結婚前に体験したソープランドの女の膣とまるで違う、と文句を言います。膣を狭くする手術を受けて来いと申します。どういうお医者さんのところに行ったらいいのでしょうか」

 という、これまたよくある悩みの訴えです。
 これなど、まさに男が女性の性の反応をまるでわかっていない、男の無知丸出しの典型で、カウンセラーとしての私が一番情けなく、悲しくなる場面です。

 奥さんの女としての心を深く傷つけるに決まっているこんなひどい言葉を堂々と妻に浴びせかける夫も夫なら、その理不尽な夫の言葉に反撃を加えることもなく、どの医者に行ったら膣を狭くすることができるかと私のところにやって来る奥さんも奥さんです。まつにダブルパンチという感じで、なんともやり切れない気持ちにさせられます。性についての悩み悩み方のダブルエラーですもの。

 ニッポンのご亭主さん方が一般的に膣というものは結合されたペニスにぴったり密着しているものだという、とんでもない間違った思い込みをしているため、こんな暴言を妻に向かって吐くことになるのですから、なんとなくやり切れません。

 結合された状態の膣がピッタリとペニスに密着するなんてことありえないのです。「そんなバカな」っておっしゃって見ても仕方ありません。彼女の性的興奮が高まれば、彼女の膣の内部はバルーニング現象が起きて、風船ガムのように膨らんでしまいますからね。膣の表面はペニスに密着どこの話じゃないのです。おまけに、彼女の興奮の高まりに応じて子宮が腹腔のほうへと引き上げられる関係で膣の奥にテンティングという現象が生じ、膣の突き当りも拡張気味になります。

 要するに、女性の興奮が高まると彼女の膣の内部は拡張してしまい、そのために男の側の感覚としては、ペニスが宙に浮いてしまったような、あるいはペニスが膣の中で行方不明になってしまったような、なんともしまりなく頼りない、という感じになる、というのが本当なのです。

 アメリカの亭主は、ロスト・ペニス(ペニスが行方不明になった)と感じ、「ハーイ、スージー、今夜も僕はロスト・ペニスだったよ」と片目をつぶってみせ、ニッポンの亭主は、「おまえの膣は締まりがなくてつまらない。形成外科にでも行って膣を狭くしてもらってこい」と不機嫌そうに口走る。
 なんでこんなに違ってしまうのか。
“性行為とは女房の膣と俺のペニスの交わりだ”
 と考える国との違いということでしょう。
 愛している彼女と交わっていると思っているから、膣が緩いの緩くないのなんて枝葉末節のことなどまるっきり気にならない男と、膣とペニスの交わりだと思っているから膣が緩いかどうかという枝葉末節のことが逆に気にならざるを得ない男との違い、というわけです。
図2
でも、なぜニッポンの亭主たちの頭の中に、結合した状態での女の膣はペニスとぴったり密着しているものだという、こんな間違った固定観念が定着してしまっているのでしょうか。
 それは、ニッポンの男の持っている性行為についての知識みたいなもののほとんどが、男の先輩たちの、かつてのお女郎遊びの体験、売春体験の言い伝えであるのではないでしょうか。

 売春婦たち、あるいは、きょぅびのニッポンの男たちが東南アジアなどに行って金で買う女たちの膣には、結合してもバルーニング現象、つまり風船ガムのように膣の内部が膨らむ現象はおきません。だから彼女の膣は、結合の間じゅう、客である男のペニスに密着したままです。
だから、売春遊び体験の中で培われてきたニッポンの男の性の常識は、いやでも、女の膣は男のペニスをピッタリ包んでいるべきもの、ということに成ってしまいます。おわかりかな、ご亭主殿。

 ではなぜ、金で膣を男に貸し与える女の膣にはバルーニング現象が起きないのか。それは、彼女らはしみじみ幸せと思って性行為をしているわけでないし、健康な性興奮の高まりとともに結合しているわけでないからです。

“早く済まして帰れ、このニッポン人”なんて、心で泣いて膣を貸している彼女の膣にバルーニング現象なんか起こるわけはないのです。

 でも、ここで、本当に困ったことに、男たちが、
“この女の膣は始めから終わりまで俺のペニスにピッタリ密着していて、なんと素晴らしい膣だ。そこにいくと、女房の膣なんて、緩くてダメ膣の見本だ”
 と、とんでもない見当違いな思い込みをつけ始めてしまうのです。
 ちっとも本気で性の交わりの相手をしているわけではなくて、いい具合に男をあしらっているに過ぎない女性の膣を高く評価し、誠意と喜びをもって性を交えているから膣の内部がふくらんでいる奥さんの膣が落第と評価されるなんて、それこそセクシャル・ハラスメントの横綱というもんでありましょうが。そんな目にあわされているのに、膣を狭くするお医者さん紹介してください、とやって来る奥さんたち。ニッポンとはとことん男の天国であるというのか、かくて性教育が足りない国というか。やるせないのです。カウンセラーさんは。
 差し込み文章
 要するに、ペニスに刺激がひとつも伝わってこないという不満を男は正直に物申すのであれば、奥さんは内緒で避妊用具(ソフトノーブルC型ペニスの長さ十六㎝まで又はD型ペニスの長さ十二㎝まで)性行為前に膣腔に忍ばせたら、まず上記のような失礼極まりない刺激が乏しいなどという言葉は撤回するでしょう。
 あるいは、一つの輪ゴムを二、三重に小さくしてペニスの根元に縛り付けることで射精困難をともなう快感を与える方法もある。

 第七章 結婚にいい加減でありすぎるニッポン