一九五八年ごろまでは、外国から堕胎天国などと、ありがたくない呼ばれ方をされるほどだったのです。妊娠中絶をうけるご婦人が全国的に多かったのも、日本人がもうあまり子どもを多く産みたくないと思い始めていたことの一つの現れに他になりません。敗戦間もないころの私どもの国では、避妊に関しての情報はきわめて乏しかったし、一般庶民の避妊についての知識も貧しいものでした

本表紙 奈良林祥 著

ピンクバラ更年期よる性交痛・性機能不全・中折れ・性戯下手によるセックスレスは当サイト製品で解決することができる。セックスレス・セックスレス夫婦というふうに常態化すると、愛しているかけがえのない家族・子どもがいても別れてしまう場合が多い。

第三章  少産時代の子育ての哲学がない

 日本人は、あまり子どもを産みたがらなくなりました。現在のニッポンの平均出産数は一・四三人。つまり一夫婦で二人産んでいないということになります。
 しかし、日本人があまり子どもを産みたがらなくなったのは、何も今に始まったことではないのです。敗戦後すぐのころからすでにそうでした。一九四八年七月に優生保護法が制定され、人工妊娠中絶が合法化されるや、大変な勢いで人工中絶の件数が増加していきました。

一九五八年ごろまでは、外国から堕胎天国などと、ありがたくない呼ばれ方をされるほどだったのです。妊娠中絶をうけるご婦人が全国的に多かったのも、日本人がもうあまり子どもを多く産みたくないと思い始めていたことの一つの現れに他になりません。敗戦間もないころの私どもの国では、避妊に関しての情報はきわめて乏しかったし、一般庶民の避妊についての知識も貧しいものでした。だから、勢い人工妊娠中絶という、女性にとっては絶対にハッピーとは思えない手段にでも頼らざるを得なかったのです。

 一九五〇年代からすでに世界の人口学者の間では人口爆発という言葉が使われ始めておりました。最近になっても改めて人口爆発、つまり、早いとこ手を打たないと、人口過剰と人口分布のアンバランスのために地球は大変なことになる、という学者からの警告が出されているくらいです。日本人があまり産まなくなったということは、それはそれでまあ、よろしいのではないでしょうか。

 しかし、あまり産まなくなったこと自体は別にいけないことだとは思いませんが、気になるのは、その結果として、いつの間にか、”ちょっぴり産んで、たっぷりいじりましょう”
式の育児のパターンが子育ての主流を占めるようになってしまったということです。

 このことに関しては、私もいささか責任のようなものを感じなくはないのです。というのは、一九五三年、つまり敗戦から八年たったころから厚生省が母体の健康のためにも、子どもの数をコントロールする手段として、人工妊娠中絶によるより正しい避妊の実行に努めることのほうが望ましいということで、全国的に避妊知識の普及と指導に乗り出しました。その時、私は、文字どうり避妊知識の普及と指導の第一線に立って全国を飛び歩いていた一人であったからです。

 維新の志士にでもなったような気分というほどではありませんが、私が避妊に関する講演をしたことのない都道府県は一つもないくらい情熱を傾けて講演して回ったものです。

 しかし、講演の中でも、書き物の中でも、私ども関係者は、少ししか産むな、なんて、そんな失礼なことなど一度も言ったことはなかったと信じております。

 ただ私どもが一生懸命避妊の必要性とじょうずな避妊の仕方を教えて歩いた時に、それと平行するように、意図的に少ししか子供を産まないという状況の下での育児はいかにあるべきか、というような、いうならば育児の新しい哲学みたいなものが語られるということがほとんどありませんでした。

 なにしろ、こんなにあけすけに親の意図が先行したうえでの子どもの作られ方などというのは、ニッポンの歴史始まって以来の特殊な状態だったわけです。哲学などという大仰なものでなくても、ちょっぴりしか産まない時代の育児の心得くらいなものは、一九五〇年代から一九六〇年代にかけての婦人雑誌の育児のページにあってもよかったんじゃないか、なんてことも思ったりします。いまごろ言ってもはじまりませんが。

 そういう、いわゆる育児学の専門家の先生方から特別のご注意もない状況の中で、結果的に、”ちょっぴり産んで、たっぷりいじりましょう”式の育児のスタイルが世の中に定着していったというのも、まあ、当然の成り行きという事でありましょうか。

 まして、かつてのように町中の街道を牛車や馬車がゆったりと行き来していた時代と違って、家のすぐ前をダンプカーが猛スピードで走り抜ける時代ですからね、子どもから目が離せないという思いに親がかられたとしても無理ないかもしれません。二、三十年前の幼稚園の子どもたちといえば、通園の途中、何が面白いのかドブ川のほとりにしゃがみ込んで水の流れをじっと長いこと見ていたり、おせんべい屋さんの店先に立って、汗をふきふきおせんべいを焼いてるおじさんのやることをおもしろそうに見ていたり、タンポポのワタを吹いて飛ばしたり、要するに道草を楽しみながら連れ立って歩いていくのも、まあ、決まったようなもんでした。
その道草の中から子どもたちは色々と学び、徐々に自分の行動半径を広げていったわけです。でも、いまは交通地獄のあおりで、バスの送り迎えが幼稚園の決まりみたいになってしまって、園児たちの道草風景も消えてしまいました。それに、幼児の誘拐などといういやな事件があることですね。お母さん方が、いやでもたっぷりいじりたくなるような社会状況に残念ながらなってしまっていることは事実でしょう。

 避妊が禁止されていた時代

 昔の日本人は、今に比べれば随分と多産でした。産めよ増やせよと、時の権力者にそそのかされるという歪んだ時代もありましたけれど、ニッポンの庶民としては子どもを多く産まなければならい事情が伝統的にあったのです。

 まず、第一に、今日のように公衆衛生や母子衛生が発達しておりませんでした。したがって戦前のニッポンは、欧米の先進諸国に比べて乳幼児死亡率の極めて高い国でした。疫痢、肺炎、百日咳、ジフテリアなど、かんたんに子どもの生命を奪う病気が、ごく一般的出来事のように乳幼児の生命を奪い、それに、結核も蔓延していました。つまり、戦前のニッポンは、極めて子どもが生命を落としやすい国だったということです。

 そういう状況の中で庶民が間違いなく子孫を残してゆくためには、背に腹は代えられない生活の知恵が、歩留まりを考え、常に子どもを多めに産んでおくということだったわけです。
「うちはほんとうは子どもは八人おりましたのですが、二人肺炎で亡くし、一人は疫痢で死なせてしまいましたが、でもお陰で五人残っております」というのがよくあることだったのです。

 私の知人で、弟さんが五郎で本人は四郎というきょうだいがいました。四郎クンの説明するとこによると、”もう子どもはそのくらいにしろ”というわけで四郎という名前がつきました。しかし、名前で避妊ができるわけでなくて、次いでゴロゴロッと生まれちゃったのが五郎なんだというのです。もちろん冗談で言っている事なのでありますが、あながち冗談とも言えなかったのでありまして、戦前のニッポンでは、もうこれが最後の子どもになりますようにと、祈るような気持ちでその願いを子どもの名前に託さずにはいられないほどに庶民は貧しかったし、避妊の手段を持ち得ていなかったのですからね。「止める」とか「おしまい」を意味する字などが、これが末っ子になりますようにと言うわけで使われたもしたのです。

 もう一つ今のみなさん方は忘れておしまいになったか、全くご存知ないかもしれませんが、私どもの国は、明治時代から一九四五年八月十五日の敗戦のその日まで、避妊は国賊的行為であるという理由で禁止されていたのです。

 明治時代の国の方針が「富国強兵」というものであったことはご存知だと思います。富裕な国になるために強い軍隊を持とうと、あるいは、強い軍隊なしに国が富むことなし、という意味の言葉であり考え方であったわけでしょうね。そして、その富国強兵という国の方針を成就してゆくためには、とりあえず避妊を禁止してしまうということが、国家権力者たちにとっては最も手っ取り早い目的達成のための手段であったのであります。

 いま人工妊娠中絶と呼ばれていることは、戦前のわが国では堕胎と呼ばれ、その堕胎は堕胎罪という刑法上の刑罰の対象とされていました。気軽に人工妊娠中絶する、なんてことは絶対にできなかったのです。中絶したことがばれたら刑務所行きだったのですから。

 人工中絶はできない、避妊はまかりならぬとなれば、一般庶民としては産むしかありません。子どもが増えれば生活が苦しくなるから、生まれた子に祈るような思いでスエなどという名前を付けたりもしたのでしょう。また、長塚節の小説の”土”の主人公勘次の妻のように、ほおずきの根を自分の子宮の中にさし入れることで流産を起こさせ、結果的に破傷風で死んでいくなどという悲しい女の物語も生れました。

 自分が働きに出れば一家の口減らしができて家族の口に入る麦ごはんの量も少しは増えるだろうと、安い賃金で紡績工場に働きに出る貧しい大家族の娘たちがおおぜい出てきた現実が、『あゝ野麦峠』の下地があったわけです。七人も八人もきょうだいのいる貧しい家の男の子は男の子で、軍隊に志願兵として入っていけば我が家の口減らしに一役買えるし、とりあえず自分も飯が食えるということで、こぞって志願兵に応募し、それが戦前のニッポンの軍隊の中核となっていくことにもなりました。

 避妊を禁止し、人工中絶を刑罰で取り締まれば結果的に貧乏人の子だくさんが日本中に増える。その結果、資本家は低賃金で労働力を集めることが出来る。かくて、「富国強兵」という政策はものの見事に成就し(それは結局敗戦という破局を迎えることになっていったわけですが)、戦前のニッポンという国のサクセスストーリーが組み立てられていたわけです。風が吹けば桶屋がもうかるのと同じ仕組みですね。というわけで、戦前の避妊禁止という国家権力の政策は、そう簡単に忘れられてはならない歴史上の事実だったと思います。覚えておいてください。

 子どもの自我が育った時代

 もっとも、子どもの数が多かったということは、必ずしもマイナス要素ばかりではなかったのでありましてね。きょうだいが多ければきょうだい同士のサバイバルゲームも生んで、子どもたちは自然に逞しくさせられました。その一方で、きょうだい同士かばい合ったり、いたわり合ったりすることを覚えたし、母親の手助けするということもごく当たり前のようにやることになっていていきました。こうしたことだけでも、子どもたちの自我はいやでもタフで弾力性豊かなものにつくり上げられることに役立ちました。子ども時代を、子どもなりにさまざまな局面、いろいろな体験、ダイナミックな喜怒哀楽の中で過ごすことで、子どもの自我というものは確かなものに仕立て上がっていくものなのですから。

 街に出れば、子どもの数が多いゆえに子ども集団が形成され、その中で自然にメンコやベーゴマの勝ち方や遊びの上の決まりみたいなものを覚えていきました。ケンカで泣かされたくなかったらケンカに勝つ方法を身に着けるか、ケンカにならずにすむ方法を身に着ける他ないことを知らされたわけです。年長になるにつれて、どうしたらグループの結束を強めていくことができるかを考えたりします。
つまり、子ども集団の中での交わりから計り知れない豊かな体験を与えられ、これがまた子どもたちの自我を成長させ、適応性を高めてもくれました。

 きょうだいが多ければ、中に一人くらいはいつもお母さんをてこずらせてばかりいるようなキカン坊やなんかがいたものです。そのキカン坊が、あのオモチャ買ってくれなきゃお家を出ていっちゃうからな、なんてだだをこねたって、戦前のお母さんはビクともしませんでした。
「あんたみたいなワカラズヤ坊は、出ていきなさい」
 と堂々と言えたわけです。なにしろ子どもは沢山いましたから。
 ワカラズ坊やも、お母さんにそういわれてしまうと、上げた小さなゲンコツのやり場に困っちゃった形で”そんなら、お正月のお年玉ためて買うからいい”ということで、一件落着。そして、そこに坊やは、”ボクたちってほしいものはいつも手に入れることが出来るものではなくて、欲しくてもガマンしなければいけない時もあるんだな”ということを、骨身にこたえる体験を通して、知らず知らずに学習させられていったわけです。つまり、躾っけですね。欲望を自分の意思で抑えることを子どもたちに覚えさせることを躾っけというわけですから、きょうだいが多い時代の親は、結果的に躾っけを行いやすかったともいえるかもしれません。子どもの数が多かったことは、子どもたちにとって決してマイナスではなかったのです。

 欲望へのブレーキ欠損人間

 でも、今はなんといっても子どもの数が少ないですからね。「あのオフロードスタイルのサイクリング用自転車買ってくれなきゃ、駅ビルの屋上から飛び降りちゃうぞ」なんて子ども言われりゃ、お母さんなんかイチコロです。なにしろ、子どもの数は少ないし、おまけにほんとうに飛び降りかねないのがいまの子どもたちです。

「買ってあげます、買ってあげます、だからお願い、もうそんなこわいこと言わないで」ということになり、かくて、きょうびのこの富める国ニッポンの子どもたちには、幼くしてすでに、”欲しいものは必ず手に入るのが当たり前。欲しいものを買ってもらえないなんて変な事が起こるとすれば、オヤジの稼ぎが悪いか国が悪いかなのだ”と思い込み、一路”欲望へのブレーキ欠損型人間”として育ち上がっていくのであります。そこにまた、”ガキ様は神様です”とばかり、幅を広げてこの”ブレーキ欠損ガキ様”たちを待ち受ける買わせたがりやの悪い大人たちがいるのですから、たまったもんじゃありません。そして、ブレーキ欠損ガキ様たちにもっぱらおもねることで雑誌を作ったりテレビ番組を作ったりしてお金儲けをしようとする大人たちもいましたりね。

 これじゃまるで、欲望へのブレーキ欠損人間万歳みたいなもので、性愛恐怖症なんてサワラナ族に育つのも困りもんですけれど、かといってブレーキ欠損坊ややお嬢やがぞろぞろと育つのも困りもんです。

 一九九七年七月下旬の朝日新聞の朝刊掲載の「先生の胸の内」なるコラムに高校の教室ももはや”ブレ欠族”つまりブレーキ欠損坊や・嬢ちゃんたちに占領されている実情がいみじくも描き出されていたので、引用させてもらうと、
『「何と言っても、まずは、キスから始まるんだ」。高校二年のクラスの授業中の、一番前の席のお喋りだ。恋人もいる子が友だちにどうやってコトに持ち込むかを話している。
 別のクラスでは、雑誌を見ていた男子が、突然「オレ、立っちゃった。ヤベーッ」と言う。笑いが起こり、そばに行って確かめる子も出る。一段落するのを見計らって「セクハラって何の略語か知っている?」と切り出した。英語を黒板に書き、復唱させる。「異性を不快にさせるのは、みなセクハラ」と言うと「お前はセクハラだ」とまた男の子をはやす声が起こった。

 生徒の大多数にとって、性は単なる冗談の種だ。が、「もういい加減にして」と叫びたくもなる時もある。(以下略)』
 と言った具合であります。

 やはり、ちょっぴりしか産まない時代における子育てのコツ、みたいな本を二、三十年前にベストセラーにしておくべきだったと、悔やまれるわけです。

 いま、ニッポンの女性が生涯で生む子供の数は一・四三人なのだということはすでに書きました。初めが女の子、そして二番目が男の子となれば。あーら、一姫二太郎、いい線いってるゥ、というので、そこで子どもを産むのをやめてしまう夫婦が大部分です。あとは一人でやめてしまうか、はじめから産まないか、それに、たまに三人産んでくれる奥さんがいる、ということなのでしょう。

 でも、変な話をするようですが、近ごろの若い奥さん方を見ていると、はじめっから子ども〇希望の夫婦がもっと増えてくれた方がいいんじゃないかななんて、半分以上は本気で思うことがありますよ。

 だって、私の前に赤ちゃん抱いて座って、
「私って、子ども好きじゃない人で、ン、だから子どもを産みたくなかったのに、彼が、ン、どうしても子どもを産んでくれっていうから、仕方なかったからこの子を産んだんです。そうしたら、ン、彼ったらもう一人産めって言うんですよね。私、子どもって好きじゃないからもういやだって言ったら、でも一人っ子はよくないからって、ン。だからァ、先生にィ、彼には気づかれずに完全に避妊できる方法を教えてもらいたいと思って、ン」

 などと、真面目な顔をしておっしゃる若いお母さんもいるのですから。
 そんな時、私はとても悲しい。だから、いまにも泣き出しそうな気分で、
「ね、お願いだから、その、私子どもが嫌いで、って言うのはやめてください。あなたが、その赤ちゃん抱きながら、好きじゃなくて、だとか、私は子供が嫌いなひとで、と言っていること、赤ちゃんにはまるごとわかっちゃてるのだからね。赤ちゃんて、カンが頼りで生きている人だから、カンはすごく鋭いのよね。もちろん赤ちゃんは、まだあなたの言葉なんかわかるはずもないけど、でも、あなたの体の雰囲気で、自分は愛されていないのだな、ってことビンビン感じちゃうんだよね。知らないよ、親との間の信頼関係がつくれないことが原因でこの赤ちゃんが将来情緒不安定の問題児に育っちゃっても。避妊法は教えますから、もう、子どもを抱きながら、私って子どもって好きじゃないんです、なんて言うのをやめましようよ」
 なんて話して聞かせたりするんです。

 考えてみりゃ、欲望へのブレーキ欠損人間に育つ可能性はなにも男の子だけじゃなくて、女の子にもあるわけです。だから、ブレーキ欠損の女の子が長じて赤ちゃん嫌いの若い母親になる場合だってあります。
 欲望のブレーキ欠損奥様には、子育てという仕事は、あまりにも欲望へのブレーキを必要とさせすぎます。手抜きで子育てをされては、子どもがたまったもんじゃありません。

 ご本人も、欲望にブレーキかけるなんて得意じゃないというなら、無理して子どもを産もうなんて思わないで、早いとこ子ども〇(ゼロ)宣言をしてくれた方が、まだ始末がいいじゃないかな、なんて思ったりする昨今なのです。

 現に、育児ノイローゼで苦しんだり、子どもが生まれたことを境に全く夫の求めに応じなくなってしまったり、という若い奥さん方が、私のクリニックにだって相談に見えるくらいですからね。世の中には結構いるんじゃないでしょうかね。ご自分はまだ子どものままでいたいという気分を持った女性が子どもを産むというんじゃ、産んだ人も大変だろうけど、産み出された赤ちゃんにしてみたら、もっと大変。生きた心地がしないかもしれませんね、赤ちゃんは何も言わないけれど。

 女の子一人、男の子一人。そこで、ちょっぴり産んでたっぷりいじる式の育児が始められると、ダメダメ、そんなに遊んでたらパパみたいになっちゃうから」と母親は男の子の尻を叩くわけです。なぜ男の子なのか。男の子は跡取り、なんて言いますけどね、昔、小学校や中学の理科の時間に習った磁石の原理を思い出してみてください。”同名の極は相反発し、異名の極は相引き合う”でしたね。あれと同じこと。母親は女、息子は男。異名の極相引き合うで、なぜか母親は息子をターゲットにしたがり、やれ名門幼稚園よ、一流進学塾よということになります。

 女の子に対してはというと、「あなたはどうせいまにお嫁に行く人だから、どうしても東大になんてカリカリ勉強しなくてもいいんじゃない」なんて、相反発し合う同名の極同士らしく、割合つれなく言ったりします。

 もっとも、そこで娘クンが反発し、よし、それなら男の子より頑張って見せる、という事もよくあります。そして、”今の小学校では、便所に閉じ込められて泣くのが男の子で、閉じ込めるのは女の子”と、かつての小学校の風景とはまるで逆転した光景が出現したりするわけです。さらに、「体育の時間の前にトレパンに着替えるための更衣室作ってください」と校長室に談じ込みに来た男子生徒に校長さんが「なぜだ」と聞いたら、「だって女のいるところで着替えるの恥ずかしいから」という答えだったのでびっくりして、「じゃ、女子はどうしているんだ」と聞いたら、「あいつら平気で着替えているよ」と言ったというんで、「先生、日本は今どうなっちゃうんでしょうかな」と私にため息交じりで話してくれた中学の校長さんもいました。

 そういえば、数年前の卒業シーズンでしたか、ある東京の有名な私立大学の卒業式で、いくつもある学部ごとの右総代になったのは、すべて女子学生であったなんて話もありました。母親と娘の間に働く同名の極は相反発する原理は、意外な効果を表している場合も確かにある。というのがおもしろいですね。

 もっとも、女子の中にだって、先にもふれましたように欲望へのブレーキの欠損お嬢さまに育ちあがる例はあるわけです。そこのところに、「あなたはどうせいまにお嫁に行くのだから、そんなにカリカリ塾なんかに通わなくてもいいのよ」などと母上の鶴の一声があれば、占めたというものです。英語らしいものを喚いているだけで、どう見たって歌っているように見えない、髪の毛を赤く染めたロックのオニイチャンたちを新幹線に乗って関西まで追いかけてみたり、友だちの家で宿題やるからなんて嘘言って、明け方まで渋谷なんぞで男に声かけられたがったりしてうろついたり、中にはテレクラやったり、援助交際なんてこともなげにやっちゃうブレーキ欠損お嬢らしい暴走する娘さんも出てきてしまうわけです。

 では、もう一方の、異名の極は引き合うというわけで母親に密着マークされっ放しの坊やの方はどうでしょうか。こちらも、おみくじ流に申せば、決してすべて大吉とはいかないようで、凶だの大凶だのというおみくじをひいてしまうことになっている坊やたちも、結構いるようなのです。

何かおかしいニッポン人の結婚観

 坊やたちの父親なる人は、いまや働きすぎるというので、世界中から嫌われものになっているほどでしょ。なにせ仕事中毒(ワーカホリック)などという病名もどきのニックネームを頂戴しているくらいですから、当然、家に帰るのは毎夜午前様。つまり、残業で、欧米の勤め人よりも年間にして二百日時間から五百時間も多く働く勘定になるのだそうです。

 ジュネーブで開かれたある国際会議に日本政府の主席代表として出向いてきたニッポンの大臣が、日本人はいかに勤勉で質実であるかを説明するのに、
「朝は朝星、夜は夜星、そして梅干し日本人」
 という迷セリフを吐いて同時通訳嬢を恐怖のどん底に陥れたとは、NHKの平野次郎さんの書いた『英語はお経』という本の中に出てくる、何度読んでもたまらなくおかしい逸話です。でも、世の多くのご主人の方の働きぶりは確かに、朝は朝星、夜は夜星、という趣ではあります。

 勤勉であるってことはいいことです。いまの若い人から見ればもはや化石としか言ってもらえそうもない年齢の私など、勤勉であるって大好きです。なのに、勤勉そのもので、わが社のためであるならばたとえ火の中水の中、と残業を重ねて頑張ってくれているわがニッポンのサラリーマンが、世界で嫌われ者にされてしまうなんて、そりゃないぜ外国人サン、と言いたくもなりませんか。同じニッポン人のあなたとしては、日米構造協議なんて、ありゃ内政干渉だなんて、つい口走りたくなる方もいるかも知れません。

 でも、そうだとしたら、あなたは、ニッポンのサラリーマンの働きすぎを、なぜヨーロッパやアメリカの人たちが”クソ面白くもない”とイヤな顔をするのかの、そもそもの、素朴で原初的理由が読めていないのだと、私は思います。

 要するに、ニッポンのサラリーマンの働きすぎが、欧米の善良な庶民には、どう見てもルール違反をしているとしか見えないのじゃないでしょうかね。だから、いやな顔をするのですよ、たぶん。
 ニッポンのサラリーマンだって大部分は結婚しているわけです。結婚している以上、彼にとって最もたいせつな”わが命”は、妻であり家庭なのであって、絶対、会社ではないはずです。少なくとも欧米人にしてみれば、それは結婚している人間として守らねばならないルールなのです。だからアメリカのサラリーマンは、たとえ国そのものが双子の赤字とやらに苦しんでいても、午後五時の終了ベルが鳴れば、わが命である女房子どもの待つ我が家へとまっしぐらに帰るのです。決してこれは甘っちょろい行為なのではなく、彼らにしてみれば、結婚している者としてのルールに忠実に従っている、ごく当たり前の行為でしかないのです。

 それをニッポンのサラリーマンときたら、奥さんが、「たまに早く帰って私をかまって」なんて言うと、「バカ、男は仕事が命だ」なんて言うわけでしょ。これ、結婚している者のいう事としてはすごくおかしいし、奥さんに対する人権無視行為だと思うのです。だって、仕事が命だというなら結婚なんてしなきゃいいじゃないですか。結婚したら、男にとって命は、その瞬間から、会社なんかじゃなくて、妻であり、家庭であり、子どもが生まれたら、それに加えて子どもである。ということになる、それが結婚した者の守らなきゃならないルールというものです。そうはお思いませんか。

 公共経済学者、野口悠紀雄教授は、自著の中で、「今日の日本経済の中核になっているすべては、戦争を遂行するため一九四〇年頃に導入された戦時総力体制が、戦後改革の嵐をくぐりぬけてそのまま引き継がれたものだ」と、述べています。つまり、日本という国は、敗戦後もずっと同じ戦法で経済という名の戦争をしていたのだ、というわけです。そう考えれば、いろいろと、嫌であるけれど、頷けてきますですね。男は仕事が命だっていって、一向に抱いてくれようとしない夫をじっと待っている妻さんは、要するに、欲しがりません勝つまでは、と、じっと、戦地からの夫の帰りを待った軍国の妻なる女性たちの延長線上にいる人たちなのでありますよ。負けたはずの戦争は、まだ続いていたのですね。驚きです。

 欧米のサラ―リマンたちは経済している者としてのルールを守り、午後五時になれば、残業もせずカラオケスナックにも寄らず、一目散に我が家に帰る。でもニッポンの勤め人は、結婚していても、仕事が命だと、結婚している者としてのルールなど無視して遅くまで残業する。

 これは、たとえて言えば、ルールは守らねばならないと決めているチームと、ルールなんか守らなくってもいいんだと決めているチームとがフットボールの試合をしているみたいなものですからね。ルールなんて守らなくていいと決めて試合するチームが勝つに決まっていますよ。そうでしょ。

 これが、アメリカやEC諸国をいらいらさせている素朴で根源的な原因なのだ、と私は思っているのです。奈良林流の独断と偏見だと一笑に付されてしまうでしょうけれど。

 よく日本人は、「あいつら、双子の赤字抱えているくせによくも五時になったら退社するなんて呑気なことがやれるもんだな。あいつらも十時、十二時まで残業するくらいの根性みせれば赤字は減るだろうに、怠けていて、日本が悪いだなんて、何言っているんだ」とアメリカを批判しますが、しかし、いつもそこで、結婚観という点で、まるでニッポン側はずれているということが見落とされているのは、困ったもんだと思うんのです。つまり、ニッポン人は、結婚というものにあまり真面目でないことに慣れすぎてしまっていることに気づいていないということでしょう。

 日米構造協議の協議事項の中に、結婚観のずれの修正という一項目を加えればいいのにな、なんて思うくらいです。
 いまから二〇年も前のこと、いまテレビ朝日と呼ばれているテレビ局の「モーニングショー」という朝番組の中で二〇分ほどの性教育コーナーを持っていたことがあり、そのための取材で北ヨーロッパに行ったことがありました。当時、デンマークでなかなかユニークな性教育番組が放映されていて、その担当プロデューサーを局に訪ねたわけです。

 同行したニッポンのテレビ局のディレクターが先方のプロデューサーに、「いろいろお話を伺いたいので、今夜ご一緒に食事でもしながらというのではいかがでしよう」と申し出たところ、「申し訳ありませんが、私どもの国では、夕食は家族そろって取ることになっておりますので、それは出来ません」という返事が返ってきました。

 その時私は、結婚した者としてのルールを守ることを当然と考える国と、結婚している者のルールなんてことまるで考えない国との違いというものをとてもわかりやすい形で見せられた思いで、すごくさわやかだったことを覚えています。

 とまあ、こういうわけで、ニッポンのご主人方はよく働きます、よく働いて帰りが遅ければ、帰宅して風呂に入ってあとは寝るだけということになります。通勤距離がのびて朝の電車が早いとなれば、なおのことそうなってしまうでしょう。

 妻の欲求不満が子どもに凝集

 妻の欲求不満が子どもに凝集
 かくて奥さんの側に女としての欲求不満が出る。欧米の場合だと、たかが仕事が忙しいくらいの理由で、二カ月も三ヶ月も奥さんを放っておいたらたちまち夫の怠慢ということで問題にされるところでしょう。しかし、そこは、お妾さん持って総理大臣が務まってきた男天国ニッポンのことですからね、奥さんは欲求不満をはっきり爆発させるなどということは夫婦別性だなんていわれる時代であっても、まずなさらない。その代わり、女としての欲求不満の穴埋め作業として子どもに入れあげるのです。それも主に男の子に、ということになってしまうわけです。

 もう十五年も前になりますか、日米共同で小学生の意識調査をして、その一部が新聞などに発表されたことがありました。覚えておいでの方は少ないかもしれません。その調査の質問事項の一つに、「あなたにとって、いま一番怖いものは何ですか」というのがあったのですが、統計をとってみたところ、アメリカの小学生が怖いものの第一位は挙げたのは「お父さん」であったのに、ニッポンの小学生の怖いものの第一位は、なんと「お化け」であったんです。

 まあなんと、かわいそうに、ニッポンのお父さんはありもしないお化けなどというものに一位の座を奪われるという情けないありさま、ことほどさようにいまや家庭内におけるお父さんの存在感は薄いものになってしまったのであります。

 ニッポンのお父さん、ワーカホリックなんて言われちゃうほど働いてばかりいないで、もっと奥さんとの交わりを大事にし、家庭こそ命と、結婚のルールに沿った生き方をするお父さんであってください、ということを私は書いているわけですが、でも無理でしょうね。考えてみると、これはお父さん自身の力ではどうにもならないニッポンの産業構造の体質の問題であり、お父さんは、巨大なニッポン産業構造の中にがっちりと組み込まれてしまっている一人ひとりのわけですからね。

 最近も、「長い間のアメリカ駐在から帰ったばかりで、一年のうちかなりの部分、性欲が減退してしまう」という悩みを抱えて私のクリニックを訪ねてみえたカップルがありました。ご主人がこんなことを言っててました。

「現地採用のアメリカ人の従業員は五時になるとほとんど帰宅する。私だってそうしたかった。でも周りを見ると日本人社員はみな十時十一時まで残業しています。それなのに、私だけ五時に帰るこということはとても出来ませんでした」

 ニッポンの産業構造のトップにいる偉い人たちに奇跡的な意識革命でも起きない限り、サラリーマンの働き過ぎは解決しません。働き過ぎのせいで家庭内での父親の存在感が薄くて、それが原因で子どもがマザフィグ坊やに育っていく可能性が多くなるという、ニッポンの将来にかかわる危険な兆候は、ちょっとやそっとでは、たぶん消えないのでしょう。

 お父さんたちには、一見加害者風でありながら、気の毒な犠牲者であるのかもしれないのです。もっとも、中には、根っからのワーカホリックで、いまのニッポンの産業構造大好きというお父さんもかなりいるかも知れませんけどね。

 性を病みやすいマザフィグ族

 そういえば、ひところ、お父さんは粗大ゴミだなんて呼ばれてましたし、つい先ごろは電車の中吊りと呼ばれる広告に、「粗大ゴミ夜になったらまた戻り」などという川柳が掲載されておりました。かと思うと、亭主丈夫で留守がいい、なんて希望されたり。

 かくも父親の存在感が薄くなればどうなる可能性があるかということは、もう皆さま方はお気づきでしょう。そうです。マザフィグ坊やがどんどん増えていくということになるのです。

 マザフィグとは、マザーフィグゼイション(母親への精神的固着)の略称です。マザーコンプレックスを心から切り捨てることに失敗し、マザーコンプレックスを引きずったまま青年であり三十代である人達がマザフィグ族というわけです。

 三歳から五歳くらいのころ、男の子はお母さんに恋する。けれど、父親の存在ゆえに母親への恋を諦め、晴れてエディプス・コンプレックス(俗称マザーコンプレックス)なる関所を通り抜けられるのが普通です。

 しかし、家庭内での父親の存在感がかくも薄くなれば、母親に恋している坊やにしてみれば、父親の大きな存在ゆえに母親への恋を諦める、という必要がなくなってしまうわけです。
おまけに、お母さんは欲求不満の穴埋めのために、甘い愛の放射能ごとくに坊やに浴びせかけて来るわけです。こうなればもう、坊やの心はしっかりと母親に固着したまま二十、三十年と年を重ねてゆき、やがて押しても押されもせぬマザフィグ男性へとなり果てていくのは当然というものでしょう。

 マザフィグ坊やという人間は、別の言い方をすれば、”ボク大人になりたくない”、つまりいつまでも子供でいたいと願ったピーターパン”シンドローム”なんて言ったりもします。

 私のクリニックは、言ってみればマザフィグ坊やの慣れの果てみたいな方々を扱うことで成り立っているようなものですからね、マザフィグ男性のプロフィールみたいなものはすぐ申し上げられます。

 まず、私のクリニックで扱ったケースに限って言わせてもらえば、マザフィグ族は高学歴です。一流大学の出身者が殆どです。そりゃそうなるわけです。母親なる恋人に嫌われたくない一心でセッセと塾にも通うし、母親なる恋人の喜ぶ顔が見たいから一番でも模擬試験の席次を上げようと頑張るし、母親なる恋人の悲しむ顔を見たくないからクラスの女の子など絶対興味を持つまいと心に誓ったりするわけですから。そのためには、性欲を無視し続ける事で性欲を抑圧してしまえばいいんだと、ほんとうにそうしています。恋をしている男って例外的にけなげなもの、と昔から決まっておりますから。だから、女性のヌード写真がいっぱい載った雑誌などを見ながら親に内緒でマスターベーションに耽り、受験勉強に回す時間をみすみす毎晩のように一時間も損してしまうなんてことなくしてすみますものね。

 一時間もあれば、数学の問題集は五ページくらい進むだろうし、英語の単語を二十くらいは暗記できます。毎夜のようにクラスの女の子のことを思ってはマスターベーションして一時間ロスする同級生に比べれば、断然おトクですよね、受験作戦的には。

 お宅の坊やを一流大学に現役で合格する男の子に育てたかったら、幼稚園のころからマザフィグ人間なるようにお育てになるのが受験勝利の秘訣ですよ、と教育ママ様たちにおすすめしたいくらいに、マザフィグくんとは受験勝利用純粋培養型人間になり得る素材であるのです。

 ただし、いくら勝利したからといっても、三十になっても大人になりたくない、結婚したくない、性行為なんて成功したくない、なんて言っている人間になってしまうのはどうしようもない、ということをお忘れなく。

 ところがです、ニッポンという国にはお見合いという形式があるばかりに、マザフィグ族でサワラナ族で、裸こわい族の彼が結婚できるのですから、困ってしまうのです。

 恋愛結婚が当たり前という欧米の国々であれば、マザフィグ族男性が結婚するなどということはまず考えられないことなのです。プラトニックラヴなどという青臭いものならばともかくとして、いわゆる恋愛などやれるわけがありませんもの。まして心と体の全てを共有して生きることを本筋とし、周りからもそう期待されるに決まっている結婚などということを、マザフィグさんが進んでやろうと思うわけないからです。それに、一流の大学を出て社会人として働いているよそ様のせがれさんに、結婚の世話をするといことは、そのせがれクンおよびご両親に対するこの上もない無礼であり非礼であり、侮辱だと考えるのが一般的欧米人ですから、嫁の世話なんて誰もしません。

 見合い婚というのは、要するに条件婚です。そうなればマザフィグ族男性は、たいていトップランクの花ムコ候補になってしまいます。真面目でおとなしくて、ひたすら母親思いで、女遊び一つするでなく、学校の出は一流で、勤め先も一流、という人が多いのですから。

 また、マザフィグ族男性は母親にものすごく忠実ですからね、この人と結婚しなさいと母親に進められれば、いたって従順に、はい、ということになります。それに彼らは人間として弱いのが普通ですから、間違っても、ボクはお母さんさえいてくれればそれでいい、結婚したいなんて絶対に思わない、などと、自分の本心をはっきり言うことはないわけです。

 かくて結婚は成立、そして新婚旅行は海外、という事になるわけです。私のような仕事をしていますと、見合いという形式はなんて罪作りなものなんだろうと、ため息つきたくもなるのです。

 新婚旅行に行った彼は、人間形成的にはマザフィグさんでも、頭脳はそのこととは全く関係なしに、成長しているわけですから、結婚すれば性行為と言うものをするものだ、ということくらいは先刻承知しています。ですが夜ともればホテルの部屋の奥さんのベッドへと進入するのですが、ここからあとを推理小説風に推察させてもらうと、そこでおそらく彼は母親のすすり泣く声が聞こえて来るのではないかと思うんです。

「ボクチャン覚えているかしら、ボクチャンがまだ幼稚園のサクラボ組だった時、肺炎になったことがあるのを。あの時、ママは寝られず看病してあげたわね。あなたが現役で大学に合格した時、掲示板の前で、ママはあなたと抱き合って涙流して喜び合ったわね。そのあなたは、今夜、そのママを捨てて、半年前にお見合いで知り合ったばかりの女の人に操を売ってしまうのね。ママ悲しい」
 なんていうすすり泣きの声が。
 そんな母親のすすり泣きが聞こえたように思えた瞬間、彼はけなげにも、
「ママ、ボクを見損なわないで、ボクがママを捨てたりする人間だと思うの。ボクこそ悲しいよ。ほら、見てごらん、ボクのペニスは柔らかくて、とても二人が結ばれる状態じゃないでしょ」
 というわけで、彼はいさぎよく”海外にてサクラ散る”、つまり俗に言われるところの新婚シンポテンスとなり果てるという次第なのであります、いや、なのでありましょうな。

 マザフィグ族のみながみな、この本の冒頭に述べたような性愛恐怖症という重度の性の病人となるというわけではありません。なぜかこの四、五年、急に性愛恐怖症のケースが増えたことは事実ですが、私の扱う性の病の六〇%ほどはインポテンス(勃起不全)で、そのまた三分の一は原発性インポテンス、つまり、俗に新婚シンポテンスなどと言われるケースです。

 三十五歳のエリート医師にマスターベーションを教えるなんて‥‥
Dさんは関西の国立大学を卒業した内科医。三十五歳。見合いで結婚して三年。現在まで性行為がうまく行えない、ということで奥さんと二人で来所。原発性インポテンスです。一応勃起はするけど、挿入しようとすると勃起が消えてしまうという、よくあるパターン。泌尿器科の諸検査では異常なし。となれば、これは彼のパーソナリティー(人間性)に原因のあるインポテンスと考えられる。幸い奥さんなる女性が治療にきわめて協力的で、三年もこんな状態に置かれているのにふてくされているような様子はなく、治療する側としてはやれやれといったところ。でも、Dさんは今日までマスターベーションを一度もやったことがないという。マザフィグ族である可能性おおいにアリ。

 果せるかな、奥さんだけ部屋に入ってもらって面談したところ、一人息子の彼は母親の溺愛のもとに育てられたお母さまご自慢の坊やであり、いまでも母親にいいように操られている、よくできたせがれさんであることがわかりました。父親も医師。温厚な人で、妻が息子をかわいがり過ぎて困ったものだと見ていて、お嫁さんに申し訳ないと、とても気をつかい、お嫁さんに言わせる、お父様が味方になってくださるので我慢できているのだ、ということです。

 といわけで治療に入ることにしました。新幹線で京都から一週間おきに通ってくるという形で、とりあえず、まずDさんをマスターベーションのやれる男にすることから始めたのですが、これが難物でしてね。小学生や中学生くらいのころならちょっと教えただけですぐやれてしまえるほど簡単なことです。しかし、すでに三十五歳にもなって、社会的地位もあるDさんは、照れもあるし、馬鹿になり切ることは難しいわけです。何よりも性的欲望に身を任せることをこんなにも長く拒否しつづけてきたDさんにとっては、マスターベーションを行う事はたいへん難事業なのです。思春期の入り口からマスターベーションを楽しみながら育ち上がったごく一般的な男性や、世のお母さん方には、とても理解いただけないことかも知れません。

 男のマスターベーションなんて、指を使ってペニスを刺激してやればいいことのように思う方がいたら、それはたいへんな間違いであることを知ってください。そんな行為は、おふくろのおっぱいをまさぐっているのと同じようなもので、とても男としての人間形成に役立つマスターベーションとは言えないのです。やはり性的な、あまりいい表現ではありませんが、いささかいやらしい空想に耽りながら指でペニスを刺激してやる行為でないと、建設的なマスターベーションとは言えないのです。

 ですから、Dさんが京都からやって来ると、やや太めの試験官を持たせてトイレに行ってもらうわけです。Dさんは立派な医学博士です。だから、私にしても、同業の彼にマスターベーションの指導をするなんて、妙な気分です。

 二十分もすると、今回もダメでした、と空の試験官を戻って来る。そして京都に帰っゆくのです。
たかがマスターベーションのためにはるばる新幹線に乗って東京までくる。なんともバカバカしい話だとお思いになるかもしれません。でも、マザフィグ族に育てられてしまったのが身の因果としか言いようがありません。
 関西で両親と一緒に住んでいたのはDさんの病を治すことはむずかしいと判断した私は、Dさんに思い切って東京近辺の病院にでも職を得て、そこから通ってきたほうが治りやすいと思うと告げたわけです。彼はよほど治りたかったのでしょうね。東京都に隣接したある県の市民病院の内科部長のポストを自力で探しだし、彼は生まれて初めて母親のもとを離れ、結婚以来初めて夫婦二人で暮らす生活のスタートを切りました。

 この作戦は見事に当たりました。ほんとうにまる一年たったとき、Dさんはやっと、マスターベーションができる男性になりました。とりあえず母親から自分を切り離すことに踏み切れた彼の背水の陣の決断が効果的だったのでしょうね。マスターベーションの成功からDさんの治療は、ペッティングの愉しみ合い、そして性行為と進み、それから三ヶ月ほどして、なんとか性器の結合、そして射精ということに成功したのですが、その報告のためにご夫婦で来所し、私の前で二人で涙を流して喜んでくれたのは、もう十年くらい前のことです。

 Dさんは、いまでは二児の父親。お父さんの跡を継ぎ、大きな病院の院長さんですが、それにしても、マザフィグから脱け出すことが当人にとってどんなに大変なことであるのかを示すいい例だと思います。

 でもねDさんの場合、奥さんが協力的であったこと、Dさんの父親が医師であったためせがれの抱えている問題をほぼ理解できて、そのためお嫁さんをいたわり励ましつづけてくれたこと、彼を母親から切り離したい私の希望を受け入れて積極的にDさんを東京近郊に送り出してくれたというような好条件に恵まれたから、よかったのです。

 たとえば、奥さんが治療に協力的でなかったりしたら、Dさんは、まず、離婚ということになっていたでしょう。
 それにしても、マザフィグさんも、欲望へのブレーキ欠損さんも、「よっ、ご両人」と声をかけてあげたくなるほどに、何かとやってくれるものではあります。とりわけマザフィグさんは、私のクリニックの受付窓口で見る限りエリートさんの卵が多くいます。ピーターパンパン症候群という持病を持った”大人になりたがらない”エリート公務員さんに、ご趣味のサバイバル・ゲーム(つまり、なんのことはない、私どもが子どもだったころ、子どもだったからやっていた兵隊ごっこです)のつもりで自衛隊の予算なんか組まれたらどうしょう、なんて思わず背筋が寒くなったりするのは、考え過ぎというものでありますかな。

つづく 第四章 ニッポン的な性の問題の中で