夫とのセックスに問題がある。フロイトはこういった事例を詳しく分析し、人間はリビドーと呼ばれる無意識に潜む性衝動に支配されている、という仮説を打ち出した。このリビドーやそれに基づく性欲は、男性のみならず、清純に見える女性、さらには幼い子どもにまである、とした。

 本表紙香山リカ著から引用

赤バラ更年期のキーワードは「ときめき」です。
閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい

セックスがこわい 精神科で語られる愛と性の話 香山リカ 著

 はじめに
 仕事を尋ねられて「精神科医」と答えると、よく次の二つを質問される。
1、 じゃ、恋愛とか結婚の悩み相談もけっこうあるんでしょ?
2、 あの‥‥カウンセリングってやっぱり、性的なテーマが中心なんですか?

 一見、1、も2、も同じことを言っているようだが、質問者が意図していることはおそらくかなり違っていると思われる。
1、 の質問をする人は、雑誌などで「彼の心をバッチリつかむ心理学」といったいわゆる世俗的な心理学の記事を読み、精神科の実際の診察室にもそういった相談を抱えた人が来るはずだ、と考えているのだろう。
2、 の人の場合は、おそらく精神医学や精神分析について少しくわしく勉強した経験があるのだと思われる。

 精神分析学の祖であるジークムント・フロイトは、若き日をヒステリー研究に捧げ、この病気の患者の深層心理には必ず性的な問題がある、ということを突き止めた。器質的な検査ではどこも異常がないのに、手や足が動かない、言葉が出てこない、さらには失神発作を繰り返す、といった激しい症状を呈する患者たちのほとんどは、「夫とのセックスに問題がある」「不倫の恋なので結ばれない」といった性や愛に関係した葛藤を抱えていることが明らかになったのである。

 フロイトはこういった事例を詳しく分析し、人間はリビドーと呼ばれる無意識に潜む性衝動に支配されている、という仮説を打ち出した。このリビドーやそれに基づく性欲は、男性のみならず、清純に見える女性、さらには幼い子どもにまである、とした。

 フロイトは、「神経症の病因における性」「幼児の性に関する考えについて」「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼少期の一記憶」といった論文で、この幼児性欲についての自分の説を修正しながら、発展させていった。

 しかし、フロイトがこだわる「幼児性欲」の概念は、当時の医学会ではかなりの批判を浴びたようだ。純粋無垢な存在と見られていた子どもに潜む性的衝動を認めることなど、その頃の人にはとてもできなかったのである。

 その後、フロイトは、エディプス・コンプレックスなどこの性欲や性衝動に基づく概念や理論を次々発表したが、一方で「すべてを性で説明することは不可能」とフロイトから離れていく精神医学者たちも少なくなかった。

 説明が長くなったが、「カウンセリングといえば精神分析、精神分析といえば性の話でしょう?」と考える人たちは、フロイトについて知っている人たちであり、現場ではいまだにフロイトの理論に基づいた治療が行われるのに違いない、信じているのだと思われる。

 それでは、実際の精神科の診察室の状況は、1、2、どちらの状況に近いのだろう?
実は、答えは「どちらでもない」である。

 恋愛や結婚のアドバイスを求めて診察室の門を叩く人もほとんどいなければ、治療者が「この問題の奥に性の問題が潜んでいるに違いない」と考えて、そのテーマについてのみ追求することもない。

 もっと言えば、精神科の診察室でストレートに愛や性の問題を語られることは、現在ではほとんどないのである。
 おそらくは、現在の精神医学がより「科学」に近づこうとしていること、またカウンセリング的なかかわりは、患者の訴えにひたすら耳を傾ける「受容と共感」に基づくロジャース流と呼ばれる方法で行われることが多いこと、などが原因なのだろう。患者本人が語ろうとしない性や愛について、治療者が根掘り葉掘りきくのは治療上、有益ではない、という雰囲気が、現在の精神科の診察室にはある。

 実は私自身も、これまで診察場面であえて性、つまりセックスやそれがかかわる恋愛について話題にすることはほとんどなかった。いま勤務しているクリニックには婦人科もあり、精神科と婦人科、両方を受診している人も少なくないのだが、カルテに挟まっている婦人科の問診票には、「性体験の有無」や「妊娠経験」から「人工妊娠中絶の経験」に至るまでを記述する項目がある。もちろん、それは婦人科診療に必要な情報だから記載してもらうわけだが、私が作っている精神科の問診票には、「未婚か既婚か」の項目しかない。「未婚」のほうがチェックされていれば、それ以上のこと、たとえば、その人には性体験があるのかどうか、またいまは恋人がいるのかどうか、などはわからない、ということになる。そして「いったいこの人には彼氏がいるのだろうか」と一応は気になりながらも、その人が「会社の仕事が忙しすぎるのがストレスで‥‥・」などと語りだしたら、なかなか愛や性のテーマについては話題にしにくくなる。

 しかし最近になって私は、少し考えつつある。なぜなら、「仕事のストレス」や「親とのいさかい」が自分の最大の問題だと主張して語り続けながらなかなかその症状が回復しない、という人の中に、実に深刻な性の問題を抱えている人がいることがわかって来たからだ。それも、その数は決して少なくない。

 とはいえ、最初はそういった話題に触れようとしない人に、こちらから「お付き合いをしている人はいますか?」「ご主人との夫婦生活のほうは?」などと水を向けるのはなかなか難しかった。もし、そういう質問をして「どうしてそんなことをきくんですか?」「話したくないのですが」などと反感を買ったら、治療にも逆効果だ。もしかすると、「そんなおかしなことをきく医者の所にはもう来たくない」とそこで治療を中断してしまう人もいるかもしれない。

 ところが、そういう心配は杞憂だった。「恋人は?」「性体験は?」「夫婦生活は?」ときいて「いったいなぜ?」と怪訝な顔をされたこともほとんどなければ、「話したくもありません」と抵抗されたこともない。それどころか、多くの人たちがその話題をこちらから振るのを待っていたかのように、自分の性や愛に関する状況やそこで抱えている問題を雄弁に語ってくれるのだ。そして、その人がそれまで語っていた仕事や家族の問題よりも、実は性や愛の問題の方がずっと核心に近かった場合さえ、少なくない。

 まず最初に、それまで別の問題についてずっと話していたはずなのに、その背景に性の問題が隠れていた、というケースを紹介しよう。

第一章 心の悩みの原因が、
実はセックスレスにあった
(1)「不妊治療がストレス」、

 本当の悩みはセックスレスだった主婦ミサエのケース
「不妊治療の中止と介護に悩んでいる」と書いた女性
 精神科の診察を初めて受ける人には、待ち時間を利用して、「問診表」と呼ばれる簡単なアンケートのようなものに答えてもらうことにしている。

 健康保険が使える保険診療を行っている医療機関では、外来で一日に診る患者さんの数がどうしても多くなり、初診の患者さんにもそれほど長い時間は使えない。「ひとり何分まで」と決まっているわけではないのだが、たとえば私自身は、初診のケースには一五分から二〇分を充てることにしている。「え、最低でもひとり一時間は話さないと、心の中の事なんてわからないんじゃないの?」とよく言われるが、もしそんなやり方をしていたら、初診を三人診るだけで半日が終わってしまう。それに、コッさえつかめば、二〇分でもそれなりに、問題のポイントがわかるようになってくるものだ。

 とはいえ、患者さんが緊張している場合は、こちらが質問してもうまく答えられない、話したいことを忘れてしまった、という事もよくある。また、情報のないところから始めるよりは、こちらも何か手掛かりがあった方が効率よく話を進めることが出来る。そのためにも、待ち時間で記入してもらう問診表が必要になるのだ。

 問診表には、家族構成や職業といった基本的なことを聞く欄のほかに、「今日はどういうご相談でいらっしゃいましたか?」「その問題はいつ頃、どういうきっかけで始まったか覚えていますか?」といった精神科ならではの”ちょっと踏み込んだ質問をする欄”もある。

 しかし、実はその欄は、意外に診察には役立たないことも多い。ほとんどの人が、「それは後ほどお話します」「いろいろあります」「家族の悩み事」などと、記入を拒むか曖昧な書き方をするかで、たまにきちんと記入してくれる場合には、ほとんどが「気持の落ち込み」「イライラや不安」という単語を書き込む。それだけ見ると、精神科を受診する人は全員が同じ症状なのか、と錯覚するほどだが、もちろんそんなことはない。

 だから「イライラや憂うつ」といつもの言葉が書き込まれている場合には、そこからあえて何か情報を汲み取ろうとは思わず、「イライラ‥‥ということですが、それってたとえばどういうときに感じるんでしょうね」と話のきっかけだけに使うことにしている。

 ところが、ミサエの場合は問診表の「相談内容」の項目にかなり詳しく、現在の問題点などを書き込んでいた。
「この一〇年、不妊治療に専念してきましたが、ついに結果を出すことができず、この春で中止することになりました。その後、仕事に復帰しようと考えたのですが、同時に夫の母親が要介護となり、私が介護保険の手続きやヘルパーとの打ち合わせなどすべてしなければならないことになってしまい、それも難しくなりました。それ以来、自分は何のために生きているんだろう、と虚しさを感じるようになりました。家事もそれまでは完璧にこなしていたのに一気にやる気がなくなってきました。義母の介護のことで役所などから電話があると、とてもイライラしてしまい、その後、落ち込んでしまいます。」

 イライラや落ち込みの直接の原因と考えられるのは、不妊治療の中止と義母の介護ストレスだ。どちらがより大きな問題なのかは、診察場面で確認すればよいだろう、と私は考えた。

 診察室に呼び入れたミサエは、髪を華やかにカールし、襟元の大きく開いたブラウスにタイトスカートというエレガントでおしゃれな雰囲気を醸し出しており、「生きることの虚しさ」に悩んでいるようにはとても見えなかった。

「精神科ってどんなところかと思ってちょっと不安だったのですが、ここはロビーもきれいだし、BGMもソフトでいいですね。」

 最初にミサエの口から語られたのも、レストランかブティックを褒めるような言葉だった。顔にも上品な笑みが浮かんでいる。これはリラックスしているという事なのか、それとも逆に緊張を隠すためにあえてくつろいだ風を装っているのか。

 私はミサエが院内を褒める言葉には「どうも」とだけ答え、「詳しく書いていただきましたが、いろいろ大変だったんですね」と切り出した。そうあいまいな書き方をすれば、不妊治療のことか義母の事か、どちらかより問題が大きいほうから語りだしてくれるだろう。

「ええ、大変でした。私、これまで世間知らずで過ごしてきたもんですから。でも、おかげさまで、治療にも踏ん切りがつきましたし、義母も施設入所することができましたので。」

 ミサエの答えは、何だかあっさりしていた。なんだろう、問題はすでに解決した、ということか。だとしたら、なぜ「虚しさ」や「イライラ」が続いているのだろう。仕方ないので私は、義母のこと、次いで治療のことと最近の出来事から遡ってもっと具体的にその”たいへんさ”を尋ねてみることにした。

 すると、義母のことはたしかに大変は大変だったが、役所の担当者も協力してくれ、思ったより早く施設に入所できた、ということがわかった。
「それはよかったですね。でも、その方はそもそも、ご主人のお母さんなわけですよね。ご主人はどれくらい協力してくれたんですか。」
 そう質問すると。ミサエの顔が一瞬、曇った。

「主人は‥‥主人は仕事がとても忙しいものですから、平日はほとんど動けなくても仕方ないですよね。でも、よくやってくれたと思います。」
 よくある話だが、介護の負担が妻であるミサエひとりにのしかかっていたようだ。
「じゃ、実際に動けないとしても、ご主人は夜や休日は介護で悩んでいるあなたの相談くらいには乗ってくださいましたか。」
 もしかすると「それが全然」といった答えが返ってくるかもしれない、と予想したのだが、意外なことにミサエは、こう言った。
「そうですね。主人は優しい人なもんですから、私の話はけっこう聞いてくれました。それはありがたいことだと思っています。」

 夫は多忙だが理解があり、介護問題も一応は解決したとするならば、問題はやはり不妊治療の挫折の方にあるのだろうか。私は、そちらのほうに話題を移すことにした。

 夫とは仲がいいが、ほとんどセックスがない状態
「その前には長いあいだ、不妊治療を受けていらしたんですね。それもかなり大変だったでしょう。」
 介護の話題とは違い、今度はミサエは饒舌に語り出した。不妊治療はスケージュールが読めないので、とにかく毎日のように注射をしたり血液検査を受けたりするために病院に通わなければならない。しかも病院は混んでいて、診察まで何時間も待たされることもある。もちろん、費用も莫大にかかる。

「気がつくと、治療中心の生活になってしまうんです。同じ病院で知り合った人がめでたく懐妊、という事になると、口ではみんな”おめでとう”と言いますが、内心は焦りで大変なんですよ。ネットの掲示板ではお互い、相手の足を引っ張り合うようなことも書き込んでいます」

 やはり、こちらがより大きな原因だったか。そう思いながらもう一度、夫の協力態勢について尋ねてみることにした。

「不妊治療もご主人の理解や協力がなければ、できないことですよね。もちろん、ご主人もお子さんを望まれていたのですから、協力してくださったとは思いますが。」

「そうですね。夫は無理しなくてもいいじゃないか、と言ってくれたのですが、内心ではやっぱり子供が欲しい、と思っていたと思います。親戚の子どもが遊びに来ると、とても嬉しそうに相手していましたから。」

「それでは、不妊治療はご主人との二人三脚で、絆が強まった面もあったのではないでしょうか。」
 ミサエの顔が再度曇ったのは、そのときだった。
「絆ね‥‥まあ、ある意味ではそうとも言えますけど‥‥。」
“ある意味”とはどういう意味なのだろう。どのように切り出すべきかと、ややためらいながら、私は素直に、聞いてみた。

「ご主人は不妊治療にも、介護でもがんばるあなたにとても理解のある優しいかたのようですね、そのほかにご主人とのことで気になる事はありませんか?」
「とくにないですけど。」
「休日にいっしょにお買い物などは? 二人でのんびりテレビを見る夜もありますか?」
「そうですね。土、日のどちらかは必ず、主人の運転でショッピングモールに出かけますし、主人は野球が好きなので、ナイターの時間にはいっしょにテレビで試合を見ることもありますよ。」

 いわゆる”仲良し夫婦”ということか。しかし、それにしてはミサエが夫のことを語るときのこの奥歯にモノがはさまったような表情は、何なのだろう。
「そうですか。では、ちょっと立ち入った話になってしまいますが、夫婦生活の方はいかがでしょう。いや、もちろん答えにくければ、それでけっこうですが。」
 私は、思い切ってきいてみた。
 すると、ミサエの顔から突然、笑顔が消えた。
「それは‥‥ありません。」
 夫婦生活が「ない」というのは、いわゆるセックスの関係を持っていない、ということか。それはいったい、いつからの話なのだろう。言葉を選びながら尋ねてみると、なんと不妊治療を始める少し前あたりから、一〇年以上にわたって夫との性交渉がない、ということがわかった。

 私は、どう考えてよいか、とちょっと混乱してしまった。不妊治療を受けている、ということは、当然、パートナーとの間にセックスの関係があり、それにもかかわらず妊娠には至らない、という意味なのではないか。

 そうきくと、ミサエは先ほどまでとは違うやや冷ややかな笑いを浮かべながら、こう答え「いえ、私たちの場合、結婚当初からほとんどセックスがなかったんですよ。夫とは見合いで結婚したのですが、結婚後しばらくほんの何回か、そういうこともあったのですが、それ以来、年に一回とか‥‥。どうしてそうなのかはわかりませんが、私から誘うのもおかしいですし、それ以外何の問題もなかったので、そのままにしていました。

 夫は一人っ子ということもあり、義母は当然のように”子供はまだ?”と気にしていましたが、まさかほとんどセックスしないとも言えないし。夫も母親に言われると、”まあ、そのうち”などと曖昧な言い方で逃げるんですよ。

 もちろん私も子供が欲しかったですし、三〇代になって間もなく、夫にある日、”赤ちゃんはどうするの?”と聞いたら、その答えが”不妊治療でも受ければ?”。セックスしないで不妊治療だけ受けても仕方ないと思ったのですが、病院に行ったら治療は人工授精が中心だから、夫の精子さえあれば子どもができるって。それから、私が採卵する日になると夫も病院に来て、採精室というところで精子は取ってくれましたが、セックスは一切しなくなってしまいました。夫も、セックスなしで妊娠できるのか、と安心したみたいです。」

 しかし結局、人工授精を繰り返しても妊娠までには至らなかった。そして残ったのは、「セックスはもう必要ない」というふたりのあいだの無言の了解だけだった。

「では、寝室は別になさっているのですか」と聞くと、意外なことに「いえ、それは一応いっしょです」という答えが返ってきた。和室に二組の布団を敷いて寝ているのだが、仕事が忙しい夫は帰りも遅いので、平日は夜食の用意だけして、ミサエは先に寝てしまう。
朝、起きるのはミサエのほうが先。休みの日も就寝の時間、起床の時間ともふたり別々なので、寝室で言葉を交わすことはほとんどない。

 つまり、寝室は文字通りただ睡眠を取るだけの場所となっていて、夫婦のコミュニケーションの場ではないようなのだ。

 だとしたら、寝室以外のどこに、この夫婦にとってのコミュニケーションの場があるのだろうか。平日の昼食、夕食は、当然のことながら別。朝食の時はかろうじて顔を合わせているが、ギリギリの時間に起きて来る夫にミサエはあわただしくご飯茶碗や味噌汁椀をわたすだけで、言葉を交わす時間はほとんどない。

 ただ、土曜か日曜のどちらかには、ミサエは夫が運転する車で大型スーパーにまとめ買いに出かけることになっている、と話していた。さらに詳しく聞くと、そのときは帰りにファミレスなどで食事をすることもあるという。また、夏休みか正月には夫婦で温泉に行くのも、毎年の習慣だ、という話もしてくれた。そういう場では、それなりに知人のうわさ話や最近のニュースについて、といった会話も交す。

 とはいえ、たとえば「今度、新しい店がオープンしたみたいだから、一緒に行ってみよう」といった話にはならない。あくまで週末や休暇の買い物や旅行など、すでに習慣となった予定を淡々とこなしているだけ、という事のようだ。

 私は、この夫婦の親密度をどう考えたらよいのだろう、と考え込んでしまった。

妻といえば妻だが、夫に自分がどう思われているか不安

 セックスを含む身体的な接触は、ほとんどない。ただ、だからといって夫婦の関係は冷え切っているかというと、それも違う。週末には連れ立って買い物に出かけるふたりの姿は、外側から見ると、”仲良し夫婦”にしか見えないだろう。

 実際にミサエは、友人たちからは「ご主人は真面目で優しそうだし、幸せね」と言われることが多いのだという。不妊治療を受けていることも何人かの友人には打ち明けたのだが、「仲が良すぎると逆に子供が出来ない、って言うわよ」とからかわれてしまった。親身に聞いてくれる人でも「ミサエは真面目過ぎるところがあるから、知らないうちにストレスをため込んでいるのよ。ちょっとリラックスしたほうが妊娠しやすい体質になるんですって」といった反応なのでとても「不妊の根本的な原因は、セックスをしないこと」とは言えない。

 それにしても、一定の距離感を保った状態のまま、一〇年間にも及ぶ不妊治療に協力し続けた夫はどういう気持ちでいたのだろう。

 おそらくミサエにとって、大きな心のわだかまりの原因になっているのは、不妊治療をしたのに子どもができないことよりも、この夫との微妙な関係なのではないだろうか。

 もし、夫との間にこの距離のまま、不妊治療に成功して子どもを授かっていたら、ミサエと夫の関係はどうなっていたのだろう。もちろん、世の中には病気や障害などが原因で、通常の夫婦生活が営めないカップルもたくさんいるはずだ。そういう人たちの中には、採卵や採精をして体外受精で妊娠、出産にまで至るケースもあるだろう。

 しかし、とくに機能的に問題があるわけでないのに、ほとんど夫婦間でセックスを持つことなく子供が出来た場合には、両親ははたして、通常の場合と同じような態度で子どもに接することができるのだろうか。もちろん、通常の妊娠でも人工授精でもそれぞれ親の子どもに対する愛情に変わりがあるはずはないのだが、「両親の愛の結晶」という意味合いにおいては少々、違ってきてしまうのではないか。

 そんなことを考えながらミサエに、「不妊治療を中止したとしても、これからは改めて夫婦二人で協力し合って人生を歩む、といった心境にはならないですか」と尋ねてみた。
ミサエは答えた。
「いまの主人とですか‥‥それはどうでしょう。私ももう四〇代ですが、これからまだ三〇年、四〇年と人生が続くかもしれませんよね。今後、そんな長い時間、このままの生活が続くのかと思うと、胸が苦しくなることがあります。」

“このままの生活”とは、どういう生活のことなのだろう。ミサエは自らのことばを続けた。
「これからは不倫をしたいとか、夫と離婚してまた別の人と再婚したいとか、そういうんじゃないんです。でも、今のままの生活だと、自分に意味がないような気がするんですよね。母親にもなれないし、妻といえば妻であるのですが、夫にどう思われているのか‥‥。」

 夫にどう思われているのか、と気になるという事は、夫に対してまだ愛情があるという事なのかもしれない。思い切ってそれを尋ねると、ミサエは苦笑しながら言った。
「愛情ですか。男女の愛情はほとんどないですね。でも、自分の価値を感じさせてくれるのは、今のところ夫だけですからね。」

 性欲というのかわからないが、誰かにぎゅっと抱きしめてほしい
 ミサエによると、夫が自分にまったく触れようとしないのは、それはそれで仕方ないと割り切っているつもりだったのだが、ときどき「夫にとって自分はそんなに魅力がない女なのか」と思ってしまい、すると自分がたまらなく無価値な人間に思えて来てしまう。夫が自分と関係を拒んでいるのは、おそらく夫自身の事情によるもので、自分の責任ではないのだ、と言い聞かせても、どうしてもそう思ってしまうのだという。
 
「これは立ち入り過ぎた話になるかもしれないが、性欲とかそういう次元の話ではなくて、もっと精神的な次元で、自分のからだ求められているということに価値が確認できるのではないか、ということですよね。普通の生活のなかでは、なかなか直接的に自分の価値が確かめられない、という事ですよね。」

 私がそういうことばを足すと、それに対してもミサエは苦笑を浮かべて、首を傾げた。
「そう言われる確かにそうとも言えますが、それだけかどうか‥‥。性欲というのかどうかはわかりませんが、それはやっぱり誰かにぎゅっと抱きしめてもらいたい、という気持ちもありますね。」

「実は最近、メールで出会い系サイトにハマっているんです」ミサエは教えてくれた。
「たとえメールであっても、自分のことを朝に晩に気にかけてくれる人がいるというのは、とても嬉しいです。おはよう、寒いね、のひとことでいいんですよ。私がカゼをひいたときには、”大丈夫? 僕がそこにいれば、看病してあげれるのに”というメールが来て、つい泣いてしまいました。」

 私は再び、どう考えてよいのかわからなくなってしまった。ミサエの場合、セックスを含む身体的接触は自分の価値の確認のために必要なのかと思っていたが、どうもそれだけでもなさそうだ。
「まさか、その男性と会う、というような話はあり得ないですよね。あくまでメールでの慰め、という事ですよね。」
 そう聞くと、ミサエは「いえ、チャンスがあれば、会っちゃうかもしません。私だってこのまま、一度も男の人に抱かれずに終わる、というのは残念ですし」と言った。
 やはりセックスの問題は、とても奥が深い。

つづく (2)「セックス恐怖症」のまま結婚し、夫を拒み続ける妻、カオリ