仕事の忙しさや重責がストレスとなり、さらに職場の対人関係問題なども加わって、次第に心身が疲弊していく…‥。男女を問わず、多くの人が経験する事だろう。不眠や意欲の低下を訴えてクリニックを訪れる女性たちの中にも、「今の仕事がハードすぎて」とため息をつく人が少なくない。
本表紙香山リカ著から引用 

赤バラ自身の性的欲望の表現でいちばん多いのが、フィット感、密着度が素晴らしい、相性がいいという表現を男女ともによく使う。どんな性的機能の相性がよかったのか簡単にいうと膣の締まりがよい。ペニスが太長い。性的欲望の強さに富み官能的に感じさせ満足させてくれる。そして性癖の多様性があり飽きさせない!

(4)結婚しても妻にかかわりたくない

 ハードな仕事をこなしても、家で仕事がある妻アユミ

 しかし、コミュニケーション下手なのは「恋人が欲しいのになかなかできない」と悩む男性ばかりではない。
 恋人ができて、恋愛の時期を経て結婚して家庭を築いてもなお、相手の女性との深いコミュニケーションを拒絶している男性も珍しくないのだ。
 ひとりのケースを紹介しながら、考えてみよう。

 仕事の忙しさや重責がストレスとなり、さらに職場の対人関係問題なども加わって、次第に心身が疲弊していく…‥。男女を問わず、多くの人が経験する事だろう。不眠や意欲の低下を訴えてクリニックを訪れる女性たちの中にも、「今の仕事がハードすぎて」とため息をつく人が少なくない。

 かつては「体を壊すほどのハードな仕事についているのは、夫も親密な彼もいないシングル女性」というイメージがあったが、今は違う。彼女たちの多くは既婚者であったり、結婚を前提に交際している恋人がいたりするのだ。マンガやドラマの『働きマン』がまさにその象徴だ。

 しかしその一方で、「正社員としての職もなければ、恋人も夫もいない」という女性も少なくない。恋愛と仕事は、両立するしかないといった次元で語られる問題ではなく、結局のところそれぞれ、独立に手に入ったり入らなかったりすることなのだろう。その結果、どうしても「恋も仕事も」”ひとり勝ちの女性”と「恋も仕事もない」という”オール負け”の女性とに二極化されてしまう傾向もある。

 ところが、いくら「仕事は仕事、私生活は私生活」と分けようとしても、仕事でのストレスや疲労は、否応なく女性たちのプライベートな時間や空間にも影響を及ぼす。とくに既婚の女性の場合はまだまだ家事の分担も多いので、男性のように「仕事はオン、仕事以外はオフ」というわけにはいかない。「仕事でもオン、家庭でもオン」という状態で帰宅してからも頭や心がフル稼働している女性にとっては、家庭内のささいな人間関係もストレスになりがちなのだ。

 しかし、そのあたりのことが「家に帰ったらあとはくつろぎのオフタイム」となってしまう男性にき、なかなか理解しづらいようだ。
「家事は大変でしょう、と言われますが、前は仕事から帰って、それから夫のために食事を作ることが楽しみだったんですよ。でも最近はその気も起きなくて‥‥。夫には、外食するかお弁当を買って自分で食べて、と言ってあるんです。」

 外資系の金融会社で働く三二歳、アユミさんが診察室でため息をついた。大学を出て何度かの転職を繰り返し、三年前、やっと希望の仕事につくと同時に前の職場で女性人気ナンバーワンだったふたつ年上の男性と結婚。

 もちろん、その結婚はアユミさんにとって「理想的」だったように、夫にとっても「満足のいく結婚」だったようだ。その後、夫はこれまで以上に仕事に打ち込むようになり、同期ではいちばん早く課長に出世、毎晩、終電で帰宅する生活。

 夫と同様、アユミさんも「理想の三〇代」を迎えられると思ったのだが、希望の時期は束の間だった。職場は外資系ならではの実力主義、競争主義で、激しい緊張を強いられるうちにアユミさんの心身はすり減っていった。診察室を訪れたときは、不眠、食欲不振、悲観的な考え、意欲の低下などが目立ち、軽いうつ状態に陥っていると診断された。

 しばらく職場での状況などをきいた後、アユミさんの夫について尋ねてみることにした。
「元気なアユミさんが好きな料理もやめてふさぎ込んでいる様子を見て、ご主人も心配しているでしょうね。」
 するとアユミさんは、「ええ、まあ」となんだかあいまいな表情を浮かべたのだ。その表情に少し疑問を感じて、「ご主人はなにかおっしゃっているのですか? たとえば”メシ作ってくれよ”みたいに」とややジョークめかしながらに尋ねると、意外なことに、こんな答えが返ってきた。

 やさしいが、「どうしたの?」とは聞いてくれない夫

「いえ、私が”ちょっと料理ができない”と言ったら、”わかった”とそれ以来、何も言わずに、外食ですませてくれるようになったんです。

 もともとやさしいんです。それはとてもありがたいと思っています。でも‥‥・心配しているのかどうかは‥‥。夫はとにかく健康で前向きな人だから、私みたいな状況になることじたい、想像もできないんでしょう。私が”つらい”とつぶやいても、”まあ、そのうちなおるよ””気の持ちようじゃないの”なんて言って、それ以上は聞いてくれようともしません。面倒くさい話になりそうなので、避けているのかもしれませんね。」

 妻が頼めばすぐに料理の負担から解放してくれるが、「どうしたの? なにかあったら言ってごらん」と積極的に尋ねようとはしない。妻のほうから相談しようとしても、「だいじょうぶだよ」ですませて避けようとする。これが果たして、彼女の言うような”やさしさ”なのだろうか。問題の本質は実は仕事の忙しさにではなく、この夫との関係のほうにあるのではないか、という疑いが濃厚になってきたので、カウンセリングの焦点を夫との関係にシフトさせていくことにした。

「あなたの仕事に関してはどうですか? お話しを聞くだけで時間的にも内容的にもとても大変そうなお仕事ですが、あなたの働きぶりを見てご主人は何かおっしゃったりしますか? もっとラクな仕事に転職すれば? 仕事を辞めれば? なんておっしゃることは?」

「いえ、彼は一貫して”よく考えてキミの好きなようにすれば”って言うんです。専業主婦になりたいならそれでもいいし、もっとハードに働きたいならそれでもいいよ、って。キミのしたいことにボクは協力するから、って。こうしろって強制することはないんです。やさしいんですよ。」

 それでもまだアユミさんは「夫はやさしい」と主張しようとしていたが、「なんでもいいよ」とすべてを自分任せにされその中でアユミさんが自分の態度を決めかねて途方に暮れている様子が次第に浮き彫りになってきた。

 おそらくアユミさんの夫は、妻に「どうしたの?」ときいて深くその心の内をきいたり、「キミはやっぱり仕事を持っていた方がいいと思うよ」「キミは意外に専業主婦をしながらボランティアなんかするのが向いているんじゃないかな」と自分の意見を表明したりするのを、避けようとしているのだろう。

 妻が「こうしたい」と言えばなんでも協力する。しかし、自分から「こうすれば?」などと言って責任が生じるのはイヤだ。「好きにしていいよ」というのは、ときとして”やさしさ”の証ではなく、”かかわりたくない”という回避の気持ちの表明である場合もある。

 アユミさんが本当に不満や不安を抱えているのは、おそらく今の職場ではなくて、「ニコニコしてやさしいが、何を考えているのかわからない夫」に対してだ、ということはいまや明らかだ。しかも、それを自分で自覚していないのが、アユミさんの問題をさらに深刻にしている。

「私の夫は何でも好きにしていい、と言ってくれる」と話せば、周囲の人たちは「まあ、羨ましい。やさしいご主人なのね」と言うだろう。自分でも「夫は優しい人なのだ」と思うようになる。しかし、頭ではそう考えながらも、妻の心の中で「あれ、何か違う」と気づき、目に見えない不安を募らせていくのだ。

 その目に見えない不安を無理やり言葉に置き換えると、「夫は自分を見てくれていないのではないか」ということになるのかもしれない。

「お子さんの事などは考えないのですか?」ときくと、アユミさんは「私は欲しいのですが、夫はキミがもっと元気になってから考えようね、と言います」と答えた。「疲れているだろう」とセックスを求めることなく、ここ数カ月はセックスレスの状態なのだという。

 自分だけに向けられたことばが必要

 今のアユミさんが必要としているのは、「好きにしていいんだよ」といった”あなたまかせ”のことばではなく、「そんなにたいへんな職場なら、もうやめなよ。キミはそんなに体力があるほうじゃないんだから、からだをこわしちゃったらたいへんだよ。僕にキミの健康の方が大切だ」「せっかく今の仕事で輝いているんだから、もうひとがんばりしてみなよ! そのほうがキミはずっと生き生きしていられると思うな」という夫の自分だけへの親身のことばや意見なのではないか。

 また、「僕たちの子どもを作ろうよ」ということば、さらにはセックスもアユミさんが必要としているものだと思われる。

 それがたとえ、アユミさんの今の時点での意志や思いとは違っていたとしても、夫の真剣さが伝わるだけでアユミさんはとりあえず安心し、そこから「でも、私はこう思うの」とコミュニケーションがスタートするのではないか。もちろん、そこにはセックスの関係も含まれるはずだ。

 ところが、どうもアユミさんの夫はそうではなかった。
 おそらく彼は、たとえ妻がアユミさんでなく別の女性だったとしても、やはりニコニコしながら「キミの好きにしていいんだよ」と言うのではないだろうか。つまり、アユミさんの個性や心情をよく見て「好きにして」と言っているわけではなくて、誰に対しても彼は同じような態度を取っているだけなのだ。

 もちろん、それはアユミさん側の態度に何か問題があるからではなく、夫である男性側の問題です。ひとりの個人と深くかかわり、その人に対して責任ある発言をするのを避けようとする。彼の中には、自分の妻に真剣にことばを投げかけて、そこから深いやり取りが始まることへの”恐怖”にも似た感情があるのかもしれない。

 そして、アユミさんの夫のような男性、つまり妻の心の中に入り込もうともせずに、セックスの関係も恐れる男性は、いま急激に増えているのではないか、と思われるのだ。

 結婚といえばこれまでは、「ひとりの異性と向き合い、深く長くかかわること」と考えられていたが、いまやこのアユミさん夫婦のように、それを避けて表面的なかかわりのままで結婚することも実は可能だ。アユミさんに自分自身の結婚のきっかけを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「前の職場をやめる直前にたまたまふたりで飲みに行くことになって、そのときに”結婚しようか”という話で盛り上がったんですよね。次の週にはお互いの親に会いに行きました。」

 アユミさんとしては人気ナンバーワンの男性からの結婚話を「ノー」と断る理由もなく、その場でOKしたという。「彼はあなたのどんなところがいちばんひかれたんでしょうね」と尋ねたときの答えは、こうだった。

「うーん、たしかにそのときは、仕事に対するアグレッシブな姿勢が同じだから、と言ってましたね。共通の上司がやる気なくて、その人の悪口を言っているうちに意気投合したんですよ。あとは、お互いのタイミングでしょうね。仕事はだいぶわかって来た。もう三〇代.となると次は結婚かな、って。」

 つまり、将来の夫である男性は、アユミさんが自分と同じ性格、価値観の人間だと思い込み、自分を変えなくても付き合っていけるだろう、と安心したので、結婚に踏み切ったのだろう。

 ところが、「自分とまったく同じ人間」などいるわけはない。同じお笑い番組を見ても、片方は「なんて面白いんだろう」と感じ、もう片方は「つまらない」と感じることがあるように、自分では難なく乗り切れるようなことでも相手は「しんどい」と立ち往生するかもしれない。そうなったとき、「深くかかわりたくない」「自分を変えたくない」と思うから、「キミが望むことならなんでもするから、好きなようにしていいんだよ」といった言い方で、いわば責任を放棄してしまうのだろう。

 結婚してこうやって「変わりたくない」「自分の内面に踏み込まれたくない」と思い、「セックスなんてもってのほか」と避ける男性さえいることを考えると、結婚前、恋愛前の男性となるとこの傾向はさらに強くなるのではないか。誰もが簡単にその想像できるはずだ。

 恋愛嫌いの男性たち

 二〇〇五年頃から、週刊誌などが「恋愛嫌いの男性」を特集するようになった。
『LEON』など代表される「いかに女性にモテるか」をテーマにした男性誌が売れている一方で、「女性はちょっと」と最初から恋愛を忌避する男性も増えている、とそれらの特集には記されている。

 その先駆けといえる『Yomiuri Weekly』二〇〇五年一〇月一六日号の「恋愛できない男たち」の特集には、こんなケースが紹介されている。

 ある女性のところに交流会で顔見知りの男性から唐突に、「ずっと好きでした。付き合ってください」というメールが来た。心が揺れた女性は、「友達と思っていたんだけど‥‥」と含みを持たせて返信を送った。ところが彼からは即、「誠に申し訳ありませんでした。なかったことにしてください」という取り消しのメールが来て、それ以来、音信不通になってしまった‥‥。

 相手の気持ちを確かめながら少しずつ近づく、最初は良い返事が得られなくても時間をかけて自分の気持ちを説明する、といった手続きがいっさい省かれているのだ。しかも、少しでも女性がネガティブな反応を示すと、「もういい」と自分からあっさり引いてしまう。「女性と付き合いたい」という願望はあるのですが、「この人を理解し合いたい」「深く心を通わせ合いたい」という気持ちはない。
ましてや「相手との関係の中で自分を変えてもいい」という決意はまったくなく、あるのはあくまで「このままの自分、このままの生活ですんなり付き合えるなら、それでもいいかな」といった距離を置いた姿勢をキープし続ける。そして、少しでも相手が自分の心の中に踏み込んで来たり、傷を与えたりしそうになると、その離れた地点からさらに一目散に撤退してしまうのだ。これでは、恋愛がなかなかうまく行かなくても仕方ない。

 この『Yomiuri Weekly』の特集では、『不倫の恋で苦しむ男たち』『しない女―私たちがセックスをしない理由』など、現代の恋愛事情の鋭い分析で知られるライター・亀山早苗氏のコメントを紹介している。引用してみよう。
「今の三〇代の男性は、恋愛を経験する前から、傷つくのを恐れてしまう。理論的で、感情をむき出しにすることを恥じ、恋愛に対して、とても冷めている。社会的な”表”の顔を作ってしまっていて、本当の自分というものを見せようとしない。」

 恋愛や結婚こそ「誰にも見せない自分」を見せる数少ない機会であるはずなのに、男性たちはそこでさえも「本当の自分」を見せまいと、その領域には踏み込まれまい、とするのだ。出会いさえ回避するのだから、これではセックスができないのも当然、と言えるかもしれない。

「こんな男には気をつけろ!」

 また、ジャーナリストの速水由紀子氏は、早くも二〇〇二年に、その名もズバリ『恋愛できない男たち』(大和書房)というルポルタージュを上梓した。表紙にはグラビアアイドル系の美少女がやや挑発的な視線でこちらを見上げる写真が掲げられ、その帯にはこんなフレーズが書かれている。

「ロリコン、マザコン、素人童貞クン、ナル男クン、DV男、ストーカー、オヤジ男、マグロ男。あなたの彼は、このどれかに当てはまる‥‥・かもしれない。」
 この表紙と帯だけ見るだけで、男性たちは怖気づいてとても本書を取る気にはならないのではないか。帯には「こんなオトコには気をつけろ!」という大きな活字も躍っており、読者の対象は男性ではなく女性だと考えればよさそうだ。

 とはいえ、この本の中を読むと、そこには決して「ロリコン、ストーカー」といった特殊な男性ばかりが出て来るわけではないことがわかる。実は多くのページは、どこにでもいる、いわゆるふつうの”恋愛できない男”に割かれているのだ。そして、そのほとんどが「コミュニケーション恐怖症」の男性と考えられる。

 女性に対して自分の気持ちが話せない、相手の話を聞いて気持ちを思いやることができない、それどころか会話そのものを拒絶し、女性に向き合おうともしない、という男性は、「コミュニケーション能力が低い」わけではない、と速水氏は言う。そうではなくて、彼らは、「恋愛コネクション能力が低い」のだそうだ。

「本書では、恋愛コネクション能力がきわめて低く、『どんなに愛しても愛してくれない男たち』をルポしてみた。つまり、恋愛で一番大切な相手を心から求め、共生のために歩み寄ろうとする建設的な人間関係が築けない人々だ。」

 もしかすると、こう言われるだけで「えっ、共生のための歩み寄り? 建設的な人間関係?」と戸惑いも「いや、僕はただイイ女とちょっとつき合いたいだけで、そんなにむずかしいことは考えないよ」と怖気づく男性もいるのではないか。

 しかし考えてみれば、恋愛とは、ひとつの個性や価値観、家族や仕事を持ち、しかも自分とは全く違う人間と、全面的に向き合って時間を過ごすことにほかならない。その時間が一ヶ月なのか一生なのかはわからないが、とにかくその期間はお互いがお互いにとって「ナンバーワンでオンリーワン」の存在になるわけだ。

 ところが最近は、ガーデニングや愛車の手入れ、ペットの世話ならそれがかなり大変でも苦にせず労力を注げるが、こと恋愛となると「めんどうなことはイヤ」と思って避けたくなる、という男性も少なくない。

 飼っている犬ならいくらで会話でき、なでたりキスしたりできるのに、女性を目の前にすると相手が何かを話し出すまで沈黙してしまう男性もいる。彼らにとってはもちろん、女性に触れたり抱きしめたりセックスしたり、といった行為は恐怖でしかない。

 エリート夫はロリコンで自傷癖が‥‥

 かつてクリニックを訪れたある女性が、エリートの夫の自室から大量のロリコン雑誌やビデオが出てきた、という悩みを語ってくれたことがあった。しかも彼には、自室でひとり酒を飲んでは自分のからだを傷つける自傷行為のクセさえもあったのだというのだ。

 妻は偶然知ってしまったのだが、夫にはまだそのコレクションを発見したことを話しておらず、彼も何事もなく振る舞い、表面的には”理想的な夫”であり続けている。

「私とのセックスは、すごく変な話ですけれど、ごくふつうだと思うんです。まあ、ロリコンのような性的な趣味については私に知られたくない、と思うのは当たり前かもしれませんが、それにしてもあそこまで異常な部分を隠せるものでしょうか‥‥。もし何か悩みやモヤモヤがあるのなら、私に話してほしいのに‥‥。私の前ではいつも本当にさわやかな笑顔なんですよ、それが部屋にこもってあんなビデオを見たり自分を傷つけたり‥‥。一体その時はどんな顔になっているのでしょう。想像できません。」

 夫婦といえども、お互い相手の知らない顔や知らない面を持っているのは自然のことだ。とはいえ、ここまで自分の顔を知られたくない夫と、このまま結婚生活を続けていってよいのか。いや、自分はいったい夫の何を知っていると言えるのだろう。そして、夫は自分の何を知っているのだろう。自分たちは、そもそもまったくわかり合っていない夫婦だったのではないか‥‥。

 妻の苦しみは深く、数カ月にわたってカウンセリングを続けたが、最終的には「やっぱり離婚します」という結論に達してしまった。それまでの間、いくら妻が水を向けても、夫はいっこうに「本当の自分」について語ろうとはしなかった、と言う。カウンセリングはそこで終了とし、離婚に実績のある弁護士さんを紹介することになった。

 あの『ドン・キホーテ』を書いたスペインの小説家セルバンテスがある短編の中で用いた言葉が、あるアフォリズム集にあった。

「恋に悩む者なら誰でも、言葉が追いつかないほどの真情を吐露するものですよ。」
 しかし、残念ながらいまの世の中、とくにこの日本社会では、恋をしてとくにその相手に自分の真情を吐露し、すべてをみせようとするのは女性に限られるようだ。

 趣味の領域なら自己開示できるのに、生身の人間に対しては心もからだも閉ざしてしまう男性。彼らとの恋愛や結婚は、悲劇に終わる可能性が少なくない。

「やさしい母親とよい息子」関係にひそむ危険

 なぜ、自分を開示するのが怖い、と感じる男性が増えたのか。
 ひとつには、その男性と母親との関係が大きく関与しているのではないか。

 家族心理学に詳しい柏木恵子氏は、これまでの家族発達段階説では「家族の発達を子どもの誕生、子どもの成長に伴う親役割の変化、さらに親役割の終了後に配偶者との関係中心に捉えられてきた」が、「経済的に豊かで心身壮健な中高年の親層の出現」に伴い、親子関係は劇的に変化した、という。
つまり、「子との関係は、養育者としての役割は完了した後も続き、親となり子となった以上、関係の質量は変化するにせよどちらかが死に至るまで親と子の関係は生涯続く」ことになったのだ。

 このように「これまでなかった長期の親子関係」が出現した結果、「母と息子」という関係も、その息子が子ども時代から青年期、壮年期、そして中年期‥‥と長く続くようになった。
この「息子と親」の関係は、「娘と親」に比べて結婚、出産などの節目での変化が少ないだけに、より子どものときから変わらず続いていることが自覚されにくい、という特徴を持つ。

 あるとき私は、「家族」をテーマにしたシンポジュウムに発言者として出席したことがあった。ほかのメンバーは、五〇代、六〇代の男性学者たちばかり。シンポジウムの途中で、ひとりが当然のようにこう言いだした。

「母親というのはありがたいものですよ。今日も私がこの会場に来るために家を出ようとしたら、同居している八五歳の母親が言いました。”クルマに気を付けなさいよ”って。母にとって私は、いつまでたっても小さな息子なのでしょうね。」

 壇上も会場もほのぼのとした笑いに包まれたが、これは果たして”笑える話”なのだろうか。もし私がこの学者の妻だったら、夫の母親がいまだに「クルマに気を付けなさいよ」と小学生に言うようなことを言って夫を送り出しているのを知って、どう思うだろう。いつまでも「私の大事なかわいい息子」という態度を取る姑にも、それに対して「わかったよ」と嬉しそうにこたえる夫にも、不満を感じてしまうのではないか。そこにあるのは、「夫が母親と子ども時代と同様の関係を続ける以上、自分との対等なパートナーシップは築けない」という直感にも似た思いである。

 もちろん、その「対等なパートナーシップ」の中には、「自立した男と女のセックス」も含まれているが、柏木恵子氏が去年出した、『夫をうとましく思う妻の心がわかる本』(講談社・二〇〇七年)を読んでいると、もはやそれを期待するのは無理、という気がしてくる。男性が母親の関係より、パートナー女性とのセックスを含めた関係を重視するのは、動物的な性欲が優勢になっている人生のごく短い時期だけなのではないだろうか。

 同書には、いわゆる倦怠期を迎えた夫婦の妻側に対して、「正面からぶつからないための小さなコツ集」と題してこんなアドバイスが載っているのだ。要約しながら引用してみよう。

1 会話は、「あなたって○○よね」ではなくて、「私は」から始める。
2 夫が賛成しそうもない話は、「いつも悪いなあ」などの罪悪感を持たせてから。
3 相手の顔を見なくてすむ電話での会話を増やす。
4 就寝前のひとときを自由にすごすため、寝室を別にする。
5 気分が乗らなくても、笑顔を作るなど表情を変える。
6 ペットを飼う。
7 緊張感を高めないために、食卓などでは正面に座らない。

せめて少しでも仲良くするために、寝室を別にしたり顔を見ないようにしなければならないとしたら、とてもそこにセックスがいる余地など残ってはいないだろう。

つづく 第二章 心の病気でも、年をとっても、人には性欲がある。