亀山早苗著
オーガズムを感じたことがない女たち
女性たちの葛藤、コンプレックスでいちばん多いのが、「オーガズムを感じたことがない」「イクという感覚がわからない」というもの。それに対して、男たちはかなりの確率で、自分が女性をオーガズムに導いていると信じている。つまり、いかに演技をしている女性が多いかということだ。
「私も演技します。演技というと言葉が悪いけど、せっかく彼が一生懸命やってくれているのに、オーガズムを得られなかったとは言えなくて。いつも最後に「イクー」って言って、それを合図に彼が終わるというパターになっているんだけど、実はちょっと虚しいんですよね」
(三十歳)
「私もよくイッふりをします。イカない女って、なんだか性的に未熟な感じがして嫌だから。だけと、本当はイッたことがありません。イクという感覚がよく分からない。気持ちはいいけれど、我を失うほどの感じじゃないし」(二十八歳)
「本当は私、挿入ってあまり好きじゃないんです。キスしたり、抱きしめたりして、そのまま眠ってしまうのがいちばんいい。だけど、彼がそれじゃすまないから、セックスはしますけど、いつも『早く終わってくれないかなあ』って思っている。早く終わらせたいために、イッたふりをします」(三十五歳)
オーガズムとは何か。セックスについて書いてある本を見れば、オーガズムの医学的な定義は、必ず説明されている。
そもそも、性的反応はどういう経緯をたどるのか。これは五段階に分かれていて、欲求――覚醒――安定――オーガズム――消散という経緯をたどる。
女性の場合、性的欲求を感じるところから始まり、刺激に敏感になる。安定期ではさらに覚醒が増し、ますます敏感になる。
クリトリスは、包皮の下で収縮を始める。膣の入り口近くは充血し、子宮は上に持ち上げられて、膣の中はテント状になる。そしてオーガズムに達すると、女性の体は弓なりになり、筋肉が緊張する。
続いて膣と子宮壁が、下腹部の筋肉と肛門と一緒に、リズミカルに収縮する。それが三秒から十秒ほど続く。手や足、顔をなどの体の他の部分で不随意筋(自分が意識して動かせない筋肉)の収縮が起こることもある。
それが収まると、またすぐに安定期の状態まで戻る。だから、女性は何度でもオーガズムを得られると言われているわけだ。
ただし、この性的反応のあり方にとらわれる必要はない。この医学的な性的反応を気にしすぎると、「あ、私は今、覚醒期なんだわ、ここから安定期に入るのね」と頭の隅で考えてしまいがちだから。自分が気持ちいいと感じることが、何よりも大事なのではないか。
挿入されるイッキに冷める「性の不一致酒井あゆみノンフィクション著の中でも多くの女性が口を開いている。
ただ、多くの女性たちが言う「挿入が気持ちよくない」というのは、もったいない気がしてならない。ひとつには、やはり心理的な壁を打ち破れないということが原因になっていないだろうか。
「私、セックスに集中できないんです。集中しようと思うんだけど、実際には頭の中で、明日の仕事を考えたり、お腹のぜい肉を引っ込めなきゃと思っていたりするんですよね」
三十代半ばのキャリアウーマンの言葉だ。
心のどこかで、セックスをいけないことだととらえたり、相手に心を開けなかったりすると、なかなか集中はできない。集中するということは、あらゆることがどうでもよくなって、自分の感覚だけが気になること、そして物理的刺激と精神的興奮に身を委ねること。
自分の体も心もすべて、相手に明け渡してしまうくらいの気持ちにならないと、オーガズムは得られない。
セックスについて話し合う重要性
オーガズムに達している演技をするのは、彼への思いやりかもしれない。だがそうしていることで、自分自身がどんどんオーガズムから離れていってしまうこともある。
相手も、「彼女はすぐにオーガズムに達するんだ」と信じているわけだから、それ以上のテクニックを磨こうとは考えない。ひょっとしたら、女性自身、演技に気を取られて、本当に感じているはずのオーガズムを感じ取られなくなる危険性もある。
演技をつくのがいいとかいけないとかいう以前に、「もっとふたりでセックスを楽しもう」という気持ちをもち、話し合った方がいいのではないだろうか。
アメリカに長く在住する女友だちに言わせると、男女が出会ってセックスする関係になったとき、必ず「どういうセックスをしたいか」と話し合うそうだ。いかにもアメリカ的という感じだし、日本人のメンタリティからいうと、
深い関係になりかけている大事な時期に、セックスについて話すのは難しいかもしれない。だが、付き合っていくうちにき、話し合うチャンスが必ずやってくるはずだ。正直に言うのが遅くなればなるほど、彼は傷つく。
「今までのは、すべて演技だったのか」と感じるから。
「私まだオーガズムを得たことがないの。でも、あなたなら、きっと得られるような気がする。どうしたらいいと思う?」
と。
どうしたら得られるようになるか、彼も一緒に考え、試してくれるはずだ。それができないような相手なら、つきあう意味がない。
オーガズムを得ることに対して、欲張りになることは悪いことじゃない。だからといって、得られないことに負い目やプレッシャーを感じる必要もない。大事なのは、自分の素直な願いや欲求に、自ら気づくことではないだろうか。
男性の中には、オーガズムを得られない女に対して、「意外だ」という反応をする人がいるかもしれない。
「自分とのセックスでオーガズムを得られなかった女性は、今までいないのだから、きみがおかしいんだよ」
というようなことを言い出す可能性もある。女性はそれを恐れているんだろう。だが、
「セックスすれば、女性は必ずオーガズムを得られる」
というのは、男が作り上げた神話。女性の体と心は、それほど単純じゃない。
セックスに関しては、男女それぞれ、あるいは、男女ともに思い込みと、いわゆる「神話」に振り回されていることが多い。ふたりで、それを打ち破っていくくらいの気持ちで取り組んでいけたら、きっといい関係が結ばれると思う。
差し込み文書
ペニスを膣挿入した場合。その女性がオーガズムを得られる部位がもしかしたら、Gスポット、(膣内壁の上側六センチほどのところ、恥骨の裏側と子宮頸管の前側の間にあるとされている「ここを刺激しても何も感じない女性もいる一方で、液体を射出する女性もいる。
いわゆる「潮吹き“個人差あるもの量は五十ccから四百cc”この液体が何であるのか医学的にはまだ解明されていないという」これって、オーガズムとは違う感覚なんですよね、刺激されると、身体の奥から、ぐわっと何かが上がってくるような感じがくるような感じがして、物凄い量の水分が出る)或いは、セックスの中心言われている膣奥であったり。
また、もしかしたら。セックスのときいちばん感じる生理前、排卵時に引き起こす子宮微細動時(子宮噴門が激しく震え、精子を取り込む吸引細動)しかオーガズムが得られない女性であれば、身体奥深くの子宮そのものが心地よい衝動を欲している女性なのかもしれない。
性感帯として最も感じるところは、噴門といわれる部位である。口、膣噴門、子宮噴門、肛門である。男は二つだが、女性は四つある。男性と女性の性の深さの違いがこれでわかるような気がしてならない.
日本人は膣(長さ:十一センチ前後)及び膣奥を心地よく愛撫するペニスは最大勃起時太さ:二十五センチ前後、長さ:十六センチ前後であればよしとする報告もあるが。先に述べた日本人の平均長さ:十三・五センチ程度であれば、
子宮頚部又は子宮噴門(うずら卵)にちょっと当たるような感覚か与える程度である。実際の感覚しては、女性の性欲の疼きを満足させるほどの刺激と興奮は与えらないだろう。
膣は伸びるし、広がるし、子宮は押されると腹部奥へと後退してしまうからだ。そして膣という部位はそもそも性感を感じない器官だ、その外側に性感帯はあるのだ。
だから、亀頭縁がキンキンに固くなっている部分で膣内をセクシャルテクニックを用い充分に時間をかけ愛撫する持久力も重要だ。
ノーブルウッシングB型あるいはC型は先端部(ペニスの質感・人肌に最も近い軟質シリコーン製、ゴムアレルギー症の人も使用できる)容易にセックスの中心(子宮噴門)そしてGスポットを愛撫することができる。
当該ノーブルウッシングB型あるいはC型は性行為後に膣温水洗浄することによって、性感染症予防、懐妊予防として特許取得したものであり、性行為を目的としていなかった。
ところが、社内外臨床試験者のひとりが中折・勃起不全に陥って妻へ当該を愛情に富んだ情熱を込めてソフト感触であったり激しく使ったところ、妻の身体から絶大な性的アクションがあることを発見した。
たぶん凄いオーガズムを体験したことで妻は二十代、三十代へ若返ったような性的情熱・欲望を示したと言う。
=ソフトノーブル通販=
コンプレックスはだれでもある
オーガズム以外にも、女性はセックスのときに感じる。根本的な葛藤やコンプレックスがある。中でももっと多いのは、胸が小さい、脚が太い、毛深いなど体にまつわるものだろう。
しかし。どれも本当に心の傷となるくらいのコンプレックスになってしまっているとしたら、解消することはできる。胸にシリコンだって、生理食塩水パックだって入れられる。それでコンプレックスが解消されるなら、手術したっていいだろう。
もっとも、男たちはマニアックな巨乳すきをのぞいては、それほど胸の大きさにはこだわらないものだ。実際、周りの男友だちに聞いてみるといい。
「そりゃ巨乳がいれば目はいくけど、そういう子とつきあいたいかといわれると、そうは思わない。あんまり大きいと、圧迫感を覚えるから」(三十五歳)
「胸の大きさなんて、どうでもいい」(二十八歳)
という男が大半のはず、それに気づけば気は楽になる。
脚だって脚痩せエステがあるし、毛深いならデートの前だけカミソリでそってもいいし、永久脱毛も、やろうと思えばできる。
だがそういうところにコンプレックスを抱く人は、たとえそこを直しても、また新たな小さい火種を見つけて、大きなコンプレックスに育ててしまうはずだ。コンプレックスを克服しようあくせくとするより、むしろ、自分のいいところを見つけた方がいいかもしれない。
セックスにおいて、何か自分の「売り」があると、大きな自信につながるだろう。たとえばフェラチオがうまいとか、あのときの声がいいとか、あるいは性器の締りに自信があるとか、胸は小さいけど感度がいいとか、何だっていいのだ。
売りがなくて体に自信はないけれど、性欲だけは自信がある。というのだっていい。相手に誇るようなものでなくていいのだ。
つまりは、何か少しでも自分に自信がもてれば、自分の心をいつでも開放できるというわけだ。心が開放されている人と一緒にいると、相手も楽しめるということ。そうすれば、セックスは後からついてくるのではないだろうか。
自分の「したいこと」は何か
近ごろでは、男性からの愛撫を受けるだけではなく、積極的に、男性に愛撫したいという女性たちが増えている。だが、どこまでしたらいいものか、と悩んでいる女性たちも多い。
女から男への愛撫というと、どうしてもフェラチオに限定されがちだが、もっと彼の体を探検してみてもいいのではないだろうか。男性だって性感帯はたくさんある。首筋、背中、脇腹、乳首、あるいは肛門に反応する男性も多い。彼の体をマッサージしながら見つけていくという手もある。
私の女友だちの山本ゆりさん(三十九歳)は、
「彼を縛っておしりを責め、感じさせたい」
という野心を抱いていた。ところが彼はバリバリの「思い込み主義者」で、セックスでは、女は受け身に徹するのが当然と考えている人だった。
彼女から、「愛撫したい」と申し出ても「そういう女は嫌い」と言うばかり。だが、彼女は、彼とならいつかは話しあいができる、お互い信頼して今よりいい関係になれると、なぜか信じていた。
そこでじっくりと時間をかけ、少しずつ彼を変えていこうと作戦を立てた。最初は、彼女にフェラチオもさせなかった彼が、「どうしても舐めてみたいの」という彼女に、フェラチオすることを許した。彼女は本などで必死にフェラチオの研究をしていたから、一度してもらえば、彼がその気持ちよさに目覚めてしまうのは当然のことだった。
抱かれる快感を得た男
その後、彼は、彼女が全身を愛撫するのを許すようになった。彼女は、睾丸に舌を這わせるふりをしながら、何と肛門を舌で愛撫することに成功。彼は予想外に感じてしまったらしく、初めて声を上げたという。
そうなったらもう彼女のペースだ。彼を後ろ手に縛り。四つんばいにさせて、ついには肛門に指を挿入、前立線刺激で彼は文字通り、「ヒィヒィ」と声をあげて歓んだという。
「それから彼は、前立腺刺激に目覚めちゃったみたいで、いつもやってくれってうるさいんです。私も好きだからやってあげるけど、まさか彼がここまで変わるとは思いもよらなかった」
そこまでにかかった時間は、なんと四年間。しかも、ただつきあっていての四年はない。同棲していながら四年間だ。彼女がいかに辛抱強く努力し続けたか、よくわかる。
あれほど頑固だった彼も、「気持ちいい」ことに対しては、時間がかかったものの崩れていった。それ自体がうれしいと、彼女は顔を紅潮させなから話してくれた。
彼女は、彼と付き合い始めた当初から、そういう願望をもっていた。だが、彼はセックスについては相当に頑なだから、話し合ってもお互いぎくしゃくするだけ。一時はあきらめていたらしい。
それでも、どうしても自分の性的な願望は消し去れない。そこで実力行使に出た。彼の方も、彼女と長く付き合ってきて、完全に心を許す時期でもあったのかもしれない。
彼女の実力行使を、あるときふと、受け入れてみようという気になったのだろう。まず体に触れられることを受け入れ、フェラチオを受け入れた。
「女をイカせるだけが、セックスではない。自分がしてもらって気持ちがいいと思えば、女性も歓ぶんだ」
ということを実感したから、徐々にではあるが、すべて受け入れるようになったのだろう。
ふたりはその後結婚、五年経った今でも仲がいい。最近では、ふたりでコスプレなどをして遊んでいるらしい。彼女は、実家に戻ったときに見つけた、自分の高校時代のセーラー服を直して、彼が着られるようにしたいと言っていた。
彼を知っている私としては、あのいかつい男がセーラー服を着て、彼女に口紅を塗られて喜んでいるのかと思うと、けっこうおかしい。
だが、そういう関係もまたいいのではないだろうか。生活上のパートナーと、セックスの場面でも心を解き放して一緒に楽しめるのは、とても素敵なことなのだから。
彼に隠れてスリルを満たす
自分がしたいことを働きかけていくことは、とても大事だ。しかし、いくら望んでも、必ずしも受け入れてもらえるとは限らない。
吉田瑞穂さん(三十五歳)は、離婚経験のある独身、子どもはいない。離婚後、つきあっている独身男性がいるのだが、瑞穂さん自身は、再婚する気はない。
彼女は時々、行きつけのバーや居酒屋で知り合った男性と、寝てしまうことがあるという。
「本当は恋人と一緒に、少しでもアブノーマルなことをしてみたいんです。縛られたいという欲求もある。だけど、彼にはまたくそういう趣味がない。世間の常識が服を着て歩いているような人だから。
そういうところが、つきあっていて安心感をもたらしてくれる面もあるんですけどね。以前、『外で誰かに見られるかもしれないと思いながらしたら、すごくスリルがあると思わない?』と、水を向けてみたことがあるんです。
すると彼は、『スリルなんて欲しいとは思わない。刺激なんてなくても幸せだと思えるのが、本当の愛情じゃないか』って。彼の言うことが真理かなあ、と思うんですよ。だけど私は、刺激がないと生きていけないところがある。
だからときどき、彼に黙って、他の男性と寝てしまうんです。その人のことを好きになるなんてことはありません。実はこの間、3Pしちゃたんです。男性ふたりに攻められ続けて、最後には前とアナル、両方にペニスを入れられて‥‥」
瑞穂さんは、そのときの興奮を思い出したのか、顔を真っ赤にした。アナルセックスというのも今の時代、どのくらい一般的なのかよくわからないのだが、まだ「誰もがする」とはいえない範疇にいるのだろう。
日本のアダルトビデオでも、それほど「普通」ではないはずだ。ヨーロッパのホテルに泊まって、ブルーフィルムを見ると、必ずといっていいくらいヴァギナとアナル、両方に入れるのが「お約束」。一対一の関係でもそうだ。
そもそも、最近のブルーフィルムは、男ふたりに女ひとり、あるいは男女数人が入り乱れてというパターンが非常に多い。
いずれにしても、女性はヴァギナとアナルの両方に、ときとして同時に入れられ、最後にはアナルと口では射精を受け止める。もしくは、男性ふたりとも女性の顔面に射精する、というのがパターンだ。顔シャは、世界共通の男の願望なのだろうか。
それはともかく。瑞穂さんの3P体験はかなり強烈だったようだ。
「私、両方にペニスを受け入れるというのを一度やってみたかたんです。アナルは以前つきあっていた男性に開発されて・・・・。もちろん、今の彼はアナルに入れようとする発想はないみたいですけど。
両方同時というのは、それはそれは強烈な快感でした。終わった後、しばらく体が震えて寒気がしておかしくなるかと思ったほど、きっと、今まで味わったことのないような感覚を得て、脳がパニックを起こしたんでしょうね。毛布にくるまって、熱いコーヒーを飲んだら、ようやく人心地がつました」
そういう体験をしてしまうと、恋人とのセックスが、つまらないものになってしまうのでないだろうか。そう問うと、瑞穂さんは、首を強く横に振った。
「だって彼とのセックスは、愛情確認ですから、彼以外の男性とのセックスは、私にとって、刺激に過ぎないんです。日常には決して持ち込まない、自分だけの世界だから、もちろん葛藤はありますけどね。こんなことをしていていいのか、とか、彼にばれたらどうしよう、とか」
瑞穂さんのように自力で、自分の衝動や欲求を満たそうとするのは、正直な人だと思う。「したいこと」を我慢する必要はない、という時代に、戦後生まれは育ってきたのだから、セックスだけを特別扱いするのはおかしい。
セックスに特別な執着があって、その野望をうまく合法的に処理できる人は、上手に生きているといえそうだ。性的に自由であることと、性犯罪を犯すこととは全く違う。
性をオープンにすると性犯罪が増えると勘違いされがちだが、自分自身の性にどう向き合い、どうとらえてどう対処していくか、それが本当の性教育なのではないかと思う。
自由に生きている瑞穂さんだが、恋人にすべて内緒にしなければならないことについては、良心がとがめると話す。
本来なら、恋人と一緒に刺激を楽しむことができればいいのだが、彼とではそれができない。彼との関係を大事にするためには、彼に隠れて自分の世界をもち続けるしかない。それをいつまで続けられるのか。
「恋人だから、本当は私のいちばん心の奥底にある。性的な願望を分かってほしい。でも無理なんですよね。ひとりの人に、すべてを求めるのは難しいような気がします。だから、それ以外の面で、彼と付き合っていくしかないと思っています」
そう言った瑞穂さんは、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。
セックスは、相手の心の奥底を感じ合えたときが、いちばん感動的なのかもしれない。それができない、だけど彼のことは好き、というのは彼女にとって、これからも大きな葛藤であり続けるだろう。
だが、彼女の今のありようがいけない、と断罪はできない。自分の責任において、対処していくしかないのではないだろうか。
自分の常識は他人の非常識
女性が葛藤を抱く場面は、まだある。彼がしたいということを、どこまで受け入れるか。かつて、ある女友だちが、
「彼は明るいところでセックスしたがるのだけど、私は暗いところでしたい」
と言ったことがある。
間をとって少しだけ明るいところでやってみたら? と話したのだが、こういった葛藤はだれにでもあるだろう。その際に大事なのは、
「こういうことが好きな彼は、おかしいのではないか」
という疑惑を抱かないことだ。人は自分の常識だけが正常な範疇だと思いがちだが、「自分の常識は他人には非常識」なのだ。特にセックスにおいては。
お互いに自分の価値観だけに縛られていたら、つきあう意味がない。お互いの価値観を分かったうえで、妥協点を見いだしたり、受け入れがあったりするから、つきあうことによって世界が広がっていくのだ。
それは恋愛、セックスの身ならず、人づきあいの根本ではないだろうか。
前述したアメリカ在住の女友だちは、ある男性とセックスの関係になるとき、「どんなセックスがしたいか」話し合った。彼は、
「ふたりきりでするのも好きだから、今日はそうしたい。だけど、次は女性ふたりと3Pしたい」
と言ったそうだ。彼女は一瞬、「それは嫌だ」と思ったものの、次の瞬間、考え直した。
「やったこともないのに、嫌だというのはおかしい。とりあえず、やってみないと分からない」
と。そこでふたりは、コールガールのパンフレットを手に入れた。簡単にそういうパンフレットを手に入れられるのはすごい話だ。
「きみの好きな女性じゃないと、僕も楽しめない。だから、きみが好きな女性を選んでほしい」
と彼に言われ、彼女はある女性を選んだ。そして三人でプレイしたのだが、結果的に、彼女は楽しめなかったという。
「彼への嫉妬というのももちろんあったけど、私自身も女性と絡むのは好きじゃない、と分かったんです。セックスに遊びの要素を取り入れるのは私には無理。彼にそう言ったらあっさり『じゃあ、一緒にやっていくことはできないね』って、セックスが一致しないと付き合っていけない、と分かっているから、こちらの人はドライです」
別れはしたが、それでも、彼の申し出を受け入れてみたのはよかった、と彼女は言う。やって見ないと自分がどういう感情を抱くか分からない。
私自身もそう思う。想像の範疇で、「好き嫌い」を決めてしまうより、実際やってみてから決めた方が確実だし、自分の感情を新たに知ることができるから。
そうすることによって、自分がセックスに何を期待しているのか、どういうセックスにいちばん興奮するのか、満足するのかが分かっていくようになるはずだ。
一度は相手の願望につきあってみる
セックスは、突き詰めていくと、最終的には、その人の趣向によって、どこかしらの方向に偏っていくような気がする。
「ふたりきりでするもの、流れとしては愛撫、挿入、射精がベース」というセックスをノーマルなものだとしたら、ソフトSMもアナルセックスも3Pもコスプレも、みんなアブノーマルとなってしまう。
私にはノーマルとアブノーマルの境界線が分からないから、あえて分ける気はしない。もし、信頼できる相手が、どれかを要求してきたら、取り敢えずは受け入れてみてもいいと、考えている。やってみてから、自分の感情をじっくり見据えてみたい。
体験というのは、とても大事だと思う。体験自体が大事というよりは、その体験から自分が何を感じるのか、そして人に対してどういうイメージをもち、最終的に、自分は
どういう人間なのかを考えることが大事なのではないだろうか。体験は、そのよすがになる。
自分の中には、自分で知らない感情がたくさん眠っている。もちろん、知らなくていい面もあるかもしれない。だが、自分の中に眠っているいろいろな感情を知るのはとても面白いことだし、「自分にはこんな面がある」ということを知ることで、自分をコントロールする術もわかってくる。バランスをとりやすくなっていくのだ。
また、自分を知ることは結局、他人に対しても理解できる範囲が広がるということだろう。いろいろな体験を重ねていくことで、それまで知らなかった自分の一面を知ると、戸惑いはあったとしても、ものごとや人への対処、対応がきっと違ってくるはずだ。
一般的になっていないだろうが、アナルセックスだって、私には、それほど変態的な行為とは思えない。なぜなら、肛門には末梢神経が集中しているから、快感がないわけがないのだ。
衛生面に気をつけて、じっくり開発していけば、膣とはまた違った感覚を得られるに違いない。「どんな快感があるのだろう」と考えると、わくわくしてくるのではないか。
新しい快感を得たとき、人はその前とは少しだけ「何か」が変わる。それまで、アナルセックスが異常なことだと決めつけていたとしたら、「ちっとも異常なことじゃないんだ」と思うだろう。
たとえ、自分には合わなかったとして、異常なことではないと感じるのは、アナルセックスをしている他の人にたいして共感にもつながるし、次の性的欲望の助走になるかもしれない。
危険でない限り、何でもした方がいい、と個人的には思う。そのことによって、大げさに言えば「新たな自分」を知り、「新たな価値観」を体得していけるのだから。
「葛藤」は「体験」によって克服できる?
あるとき、私は他人のセックスを見る機会を得た、それはおもしろい体験だったし、多少興奮も味わうことができたが、どうやら、私自身は、他人のセックスを見ることで大きな歓びを感じるタイプではないらしいと知った。だが、他人のセックスを見ることで、非常に興奮する人の気持ちは、分かるような気がする。
セックスしている女性に自分を投影して、興奮する女性もいるのだろうし、視覚と聴覚に飛び込んでくる女性の反応に、強い刺激を感じる男性もいるのだろう。
同じように、本格的なSMショウを見た友人が、
「すごくおもしろかったけど、自分にはSMは向いていないことがよく分かった」
と言っていたことがある。彼女は、機会があればSMをやってみたいと言っていたのだが、ショウをみて、自分にはそこまでの趣向がないと、わかったのだそうだ。
正統なSMには、挿入は存在しない。「恥ずかしい目に遭うと興奮する」のし、あくまでも「ごっこ」の範囲内だと感じたらしい。
自分がしてみたいのは、あくまでも「SMの真似事」であって、真似事だから興奮するのだ、と。見たり聞いたり体験したり、ということがいかに自分の本当の気持ちを知るのに役立つかがよくわかる。
何度も言うようだが、セックスで大事なのは、自分を呪縛しているすべてのものや思考からの解放だと思う。そのためにも、あらゆる体験は必要だ。もちろん、その体験をするためには、いろいろなリスクも伴うかもしれないが、それは自分自身が秤にかけて考えるしかない。
セックスに、コンプレックスや葛藤はつきものだ。
「こんなセックス、おかしいのではないだろうか」
「私のセックスは間違っているのではないか」
そうやって悩むくらいなら、他人のセックスを覗き見したり、したいことをしてみたりしたほうがいい。体験は、おそらく葛藤を凌駕(りょうが)する。セックスにおいては、合意さえあればタブーはないと思えるはずだ。
体験は無駄にはならい。というより、体験を無駄にしない、というある種のしたたかさが、セックスにおいても、生きる上でも必要なのではないだろうか。
つづく
第11 四章 自由